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ここに手帳の画像を入れる。
家にいる間はTwitterを見ないようにした。と、決めたのについつい開いてみてしまう。心が弱いので。
ぼくの禁欲的な生活は何かを成し遂げられていない焦りから禁止事項を作ることで無理やり達成感を作り上げているだけかもしれない。わかってはいるけど禁止するだけで人生は良くはならない。受験生がゲームを禁止していても勉強しなくちゃ成績は上がらないように、Twitterを見ないようにする時間を有効に使わないといけないのだ。
弱音を吐いてもいい? いいよー!!
ぼくは普通の人ができることができない。例えばドライヤーで髪を乾かすのが下手なんだけど、髪を乾かすっていうのがいまだによく理解できない。一応毎日風呂上りにはドライヤーをかけているが髪全体を温めていて乾かしてはいない。
計算ができない。勘定がわからない。手続きがわからない。会話ができない。声が出ない。酒が飲めない。寝癖を直せない。服にしわが寄っていることに違和感を持てない。人の目が見られない。距離感がわからない。
頭が悪くて、まともにものを考えられない。文章にして書く速度でしか思考ができない。書いている間だけがちゃんとものを考えていて、他の時間はすべてぼんやりと漂うように暮らしている。
今まで自分と関係ないものとしていた世界のことが気にかかる。ファッションや身だしなみ、スポーツに熱中するとか、飲み会を楽しむとか、まともな人間がしていることを考える。それがありえた可能性を考える。
興味ないなと思うけど、人生経験としての通過しておきたかったイベントでもある。フィルターとして、それを通していないと見えないものがあったんじゃないのか。見落としているものがあるんじゃないか。
ぼくが手にしたものがぼくの世界観の総体ではあるのだけど、別の世界観を手にする術を逃していたということが文学的損失になるかもしれない。
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