10月21日
今日はなにもない すばらしい一日だった。(ぼくの夏休みの絵日記)
youtubeが好きなのでyoutubeを観ていた。youtubeにはトップページでおすすめの動画を紹介するコーナーがあって、閲覧傾向からコンシェルジュがこんなの好きじゃないかと動画を勧めてくる。
その中に小山田さんのツイキャスを録画した動画があった(ツイキャスの録画アップロードは本人がいいと言っているので無断アップロードではない)。聴いてみたら自分の曲やらカバー曲やらを歌っていたんだけど、そのなかでoasisのDon't Look Back In Angerも歌っていた。
昔とある事情があってOasisの曲を覚えようとしていて、懐かしくなった。アルバムmorning gloryにDon't Look Back In Angerも入っている。
歌詞を完璧に和訳できるほどの理解はできていないけど今でもmorning gloryを空で歌える。アルバムだとmorning gloryの後にChampagne Supernovaという曲があって、アルバムの最後の曲なんだけど映画のエンディングのような終わりを実感できる曲でずっしりと後悔の気持ちになる。幕切れだ。
切なさという感情は景色がなんらかの力によって強制的に変えられるときに生じる気持ちと定義したとき、幕切れは相当切ないものだ。目の前で繰り広げられていた景色に一瞬で幕が引かれ、前後の世界には時間の連続以外の共通点がない。新しい世界に身体を馴染ませることができない人にとって、世界は寄る辺のないものになる。
話は違うんだけど、ぼくは「絆」って言葉が嫌いなんだ。絆は動物を繋いでおく紐のことで、犬で言えばリードを繋いで犬と自分を未分化し安心している構図になる。
犬がリードから逃れていったとき、安心を失った人間の寄る辺のなさをぼくはわかる。神も親もグルもいない人間が孤独に宇宙をさまようところをぼくは見たかった。
そういう話を書いたけど、本当に書きたいところには辿り着けていなくて、まだそこをちゃんと書ける力がなかった。セルフ没を続けて完成しないよりは納得がいってなくても仕上げておくべきなのかもしれないけど、あの比喩を完璧な状態で出せなかったのは後悔がある。
地球からの重力を受け取れない宇宙をただよう人工衛星も、途切れたリードも、それの比喩だ。
この後は人に言えることは書けないな。
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