「牛さんになにがあったのか」12/13
「牛、焦がれる!!」なるサブタイトルが気になるぜ。
好きなボーカロイドの曲をなんとなく久しぶりに聴いてみた。思い出のなかで美化されているだけでなくやっぱりきれいな曲だった。聴き終わって、この投稿者はいまでも投稿を続けているのかなと調べてみたら、今はヨルシカというグループで活動をしていると出てきた。
ヨルシカ!! ついこの間聴いてみたグループだった。
恐竜くんがヨルシカという人の曲ばかりを聴いていると言っていたので気になって聴いてみたのだった。新しいものに出会うには信頼している人のセンスに頼る。自分の世界観にはないものをもたらしてくれることを期してヨルシカを手にとったのだった(実際はspotifyで検索してタップをした。手に取るという物理的な表現はそのうち廃れるかもしれない)。
新しく知ったものが、実は前から知っていたものとつながっていた。温故知新、は意味が違うけど、なんかこのことには大事な意味が含まれているような気がした。ヨルシカさんは最初のアルバムを2回通して聴いてからまだ他の曲は聴いていなかったのでちゃんと聴いていきたい。
突然ですが、スヌーピーの思い出を書きます。
小学生のころの夏休みに八日市図書館に連れて行ってもらったことがある。八日市図書館はぼくの住んでいた町にある図書館よりも大きい。入り口にはでかいゴリラのぬいぐるみが椅子に座っている。そのころは隣町に住んでいる人でもその図書館で本を借りられたので、ぼくは夏休みの読書感想文で書ける本を探していたのだった。
児童用の本棚と一般用の本棚の間に配架前の本を置くカートがあり、そこに『ピーナッツ』が置いてあった。英語と日本語の対訳が載っているものだった。たぶん谷川俊太郎訳のものだった。
英語は読めないから日本語の訳と絵だけで楽しんだ。ぼくはそれまでスヌーピーのキャラだけは知っていたけど物語は知らなかった。夢中で読んでいたけど、3冊くらい一気に読んでから別の本を読みたくなり、続きはまた今度読もうとそこで読むのを止めた。それから続きを読むことはなかった。
今だったら自分で買って読むこともできるし、いくらでもアクセスする手段はある。でも、あのとき興奮して読んで、そして今は内容をまったく覚えていなくて夢中になった記憶だけがある状態を壊したくない気持ちがある。クリスマスや花火と一緒で失われた憧憬の一つなのだ。
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