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「ドラえもんじゃない方」12/15

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 最近見つけた面白いブログのなかでぼくの好きなバンドの曲について語られていた。
 そのブログの語り手は、曲のなかで「怒り」が歌われていると述べていた。え、そうなの? ぼくはそう考えたことがなかった。
 ブログのなかで語られている内容を読むと怒りと書いた理由もわかった。個人の感情としての怒りというよりも、立場として怒りを表明しなくてはいけないようなところだった。例えばぼくは小説家であるので立場として死刑制度には反対をしている。でもかといって死刑を賛成している人の気持ちもわかるし、死刑廃止のために行動したいというものでもない。立場としての怒りではあるけれど、ぼく個人としては怒ることもない。

 怒りは包括的な感情だ。いろんな感情の公約数的に怒りはある。怒りを因数分解していくと、寂しい、悲しい、悔しい、認められたい、等々に細分化されていく。自分の気持ちに向き合うことができない人はイージーに怒りで感情を表現する。恋人に浮気されて怒っている人は、本心では恋人の気持ちが離れたことが悲しいのかもしれない。複雑な気持ちに向き合うまえの、むき出しの感情が怒りだ。
 気持ちを正確に表すには言葉を尽くすしかないし、表現として詩でも小説でもにするしかない。表現したところで他人にちゃんと伝わるものでもないけど、自己療養のためにも表現はあるのだ。


 このごろMOTHER3のことを思い出していて、Youtubeで愛のテーマを聴いた。
 MOTHER3にはヒマワリ畑しかないマップがある。イベント中にしか入れなくて、一度きりしか入ることができないマップだ。そこでどんなイベントがあったのかあまり覚えていないけど、ヒマワリ畑の美しさだけが記憶に残っている。
 MOTHER3は全体的に切ない話だった。切なさとは善し悪しに関係なく物事が変わってしまうことを思う気持ちだ。好きな人と会えなくなったり、故郷の景色が変わっていったり、町の人に親密な気持ちが抱けなくなってしまったり、そんなどうしようもない変化が幼いリュカくんを待ち受ける。
 冒険を終えたあとでもリュカくんは素朴な少年でいられるとは思えなくて、きっと大人になってしまうだろう。いつまでもそばにいてあげたいよ。スタンド・バイ・ミー。

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