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「夏の記憶」8月9日の日記
最近朝ご飯はコーンフレークを食べるようにしている。朝の食欲の湧かなさは寝起きで唾液の分泌量が少ないことによるもので、パサパサしたパンや唾液を混ぜて食べる白米などは食べにくい。その点コーンフレークは牛乳でふやけているから流し込むだけで食べられる。忙しい朝や暑い夏にぴったりなのだ。
小学生の夏休みのときによくコーンフレークを食べていた。ラジオ体操から帰ってきてから朝ご飯を食べた。リビングのテレビで普段は見ないおはスタを見ながらコーンフレークを食べた。牛乳につけると色が変わるスプーンがおまけについていて、それを使ってコーンフレークを食べる。別にどんなスプーンでもいいんだけれど、コーンフレーク用のスプーンがあるならそれを使いたい。ぼくはなんであれ専用のものって好きなんだ。イチゴを食べるときにだけ使う腹が平べったくて先が尖っているスプーン、蟹の身をほじるときにだけ使う棒、中華でしか使わないレンゲ、あとなにがあった。教えて。
両親が共働きで兄たちもどっかに行っていたから夏休みは家で一人になることが多かった。宿題もやらずにゲームを遊んだりしていた。
どうぶつの森で毎年一月一日にお年玉として一万円がもらえる。それを利用して、ゲーム内の時間を変えて何回もお正月のお年玉をもらいまくってどうぶつの森のローンを返済していた。めんどくさいことをやっていたんだけどぼくには途方もないほどの時間があった。
お盆の時期には父の実家がある宮崎まで帰省をしていた。夜のうちに出発して高速に乗っていく。夜の混んでいない時期に阪神高速を抜けるのだそうだ。
そうやって走っていくと真夜中に山口の関門海峡に着く。関門海峡の前のサービスエリアで停まる。夜に外を出歩くことがないから夜のサービスエリアで歩き回るのが好きだった。お盆の時期でみんな一緒なのか夜中でもけっこうお客さんがいて活気がある。夜の橋を眺める。暗くて全貌がちゃんとわからないけど灯りや車のライトで照らされた橋を見た。あのサービスエリアの夜に肌で感じた風を今でも体のどこかで宝箱のようなものにしまって覚えている。
県内の小学生が全員参加するうみのこフローティングスクールというものがあった。琵琶湖をめぐりながら他校の生徒と交流したり琵琶湖の生物について学んだりする行事だった。夏休みの中盤に一泊二日で行われた。琵琶湖にある島を見ていった。人が住んでいる島は一つだけあるが他は無人島だ。海のない県にも無人島はある。
カッター活動という船に乗る体験があって、琵琶湖の上で船を漕いだ。ぼくはすごく怖かったのを覚えている。船はひっくり返ったりせずにちゃんと漕げたんだろうか。その記憶はもうない。カッター活動が終わったあとに琵琶湖の湖岸に降りた。同じ班の女子が波打ち際にあるガラスを拾っていた。波に研磨され丸くなったガラスだった。それをシーグラスというらしい(レイクだけど)。シーグラスという存在を初めて知ってぼくもいくつか拾った。きれいで素敵だと思ったんだけど、持って帰るのはなんだか恥ずかしくて置いて帰った。子供のころはなんだかずっと素直になれなくていつも気持ちと反対のことばかりをやってきた気がする。ぼくは今でもシーグラスを拾いたいと思う。
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