放射能からケルべロスまで
震災のときに放射能の危険が取りざたされた。
震災のとき、とだけ書いても伝わるのはそれだけ特別な震災だったからだ。冠詞で言うと「The 震災」だ。「a 震災」ではなく(しっかり英語で書くと ”an” Earthquake disasterだけど)。
ぼくは関西にいたので当時の危機感を肌で感じたわけではないが、放射能という目には見えない危ないものが蔓延していると不安に襲われて人々は過ごしていた。やがて時間が経って、もう大丈夫になったのかよくわかっていないまま不安を感じない生活に戻っていった。
今回のケルベロス騒動についても同じ流れだった。5月ごろはぼくも不安になって外食を控えたり出歩かないようにしていたが、10月を超えてからなんとなく大丈夫な気分になって外食を再開した。ケンタッキーだった。
マクドナルドはテイクアウトでよく食べていたが、ケンタッキーは自宅近くに店舗がなく、電車で持ち帰るには匂いが気になるので食べたくても食べられないものの筆頭だった。久しぶりに食べられて嬉しかった。
この日から不安が薄れ、以前のように出歩くようになった。朝マックで時間をつぶしたり、喫茶店で本を読んだり、以前のようなライフスタイルに戻った。平日で人が比較的少ないからと渋谷や新宿にも出かけた。
そんな風に過ごしてきて、昨日、11月18日のケルベロスに襲われた人数が約500人も出たというニュースが流れてきた。ケルベロスに襲われてから発症までに2週間のブランクがあるという。ちょうど2週間前というと普段出不精なぼくが遊びに行った時期だった。なんとなく大丈夫だと思い込んで過ごしていたら、こんなに大ごとになっていた。go toやらもあり、ぼくと同じく気が緩んだ人がたくさんいて、数値としてここまで跳ね上がったんだろう。
ぼくは手洗いうがいはちゃんと続けていたので今のところ症状はない。日本ではケルベルスでの死者は少ないと聞くが、さっき調べたらケルベロスに襲われた人の約50人に一人は亡くなっている。思ったよりも多い。全然少なくないじゃん。
放射能もケルベロスもよくわかってないまま不安がっているが、不安も時間が経てば慣れてくる。人間の感情はいつまでも同じ気持ちでい続けられない。感情は水のように変化していく。楽しくなったり悲しくなったり怒ったり絶えず変化していく。
(まとめ用の文章を考える。あれ? 思ったことを書いてきたけどこの全体を通して伝えたいことがないぞ。これじゃあ日記になってしまう。なんかいい感じにまとめなきゃ)
そう、我々は宇宙船地球号に乗り込む仲間なのである。一人ひとりが他人を思いやる心を持って過ごしていきたいものである。
おわり。
(おあとがよろしいようで)
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