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「ズレズレなるままに」引退のヤクルト青木 これほど記者にも愛された選手を知らない

 ヤクルトスワローズの青木宣親選手が、10月2日の試合をもって現役を引退しました。

 詳細は各種メディアで読んでいただくとして、彼らしいスピーチでした。当日の神宮球場には行けませんでしたが、ズラリと並んだ花の中に「元ヤクルト担当一同」からのものが、ひっそりと混ざっていました。

 実はコレ、青木さんが新入団の頃の担当だった記者の声がけで、スポーツ紙や一般紙、テレビ、ラジオ、球団公式メディアの方まで年次を問わず集まったものです。
合わせて、19人の記者たちが「寄せ書き」も綴っています。不肖ワタクシも声をかけていただきました。内容は明かしませんが、それぞれ青木さんへの思いや関わりを書いているので、ご本人に伝わったら嬉しいですね。

裏話を少し明かすとグループラインに招待し、内容を確認し、ウェブ上で原稿を送ってデジタル処理するという今どきの手法でした。しかし、最後はスタッフさんから手渡ししてもらうというアナログ感がなんともいいですね。

 さて野球に限らず、サッカーやラグビーなど多くの選手の引退を見てきましたが、今は記者ではなかったり、違う取材をする者が「元担当一同」として花や寄せ書きを贈ったなんて話は聞いたことがありません。

 いかに青木さんが、記者から愛されていたのか分かります。何が違うのかは明確に言えませんが、やはり野球への真摯な姿勢と真面目さ、記者への対応にも裏表がないところかなと思います。

 記者それぞれがエピソードを持っているだろうとは思いますが、神宮室内練習場での姿が目に焼き付いています。確か、ちょっとスランプ気味だったあるときマシン打撃の途中「カメラマンさんに写真撮ってもらえませんか?」と頼まれました。彼はスイングの連続写真を見ながら「う〜ん」とか「そうか」なんて言いながら「どう思います?」と聞いてきたので、「ごめん、俺が青木ちゃんに指摘できるようならコーチになるよ」と2人で笑った記憶があります。
 また、データや科学的なトレーニングが全盛の時代でも「僕、ウェイトトレーニングとか好きじゃないんですよ。打者に必要な筋肉って、やっぱりバット振り込まないとと作れないと思うんです」と、ストイックにバットを振る理由を明かしてくれたこともあります。

 このnoteで昨年の今頃、青木さんについて書いたのですが、ちょっと再掲します。

 彼がMLBのブルワーズに移籍した2012年、こちらは会社の20年勤続休みでミルウォーキーに行ったときのこと。後で青木さんにバレても気まずいので、一応、取材申請を出しておいたので球場に行きました。彼は「あれ、メジャー担当になったんですか? いや、違うな、ハーレーダビッドソンのミュージアム観にきたんでしょ」とお見通しでした。
 偶然にもこの日は「AOKI DAY」だったのですが、試合は延長14回まで続き、終わったのは深夜0時過ぎ。原稿は書かないけどロッカーで取材陣に紛れていたら、「クルマありますか? ダウンタウンはもう店も閉まってますから」と、選手用の食事をパッキングしてくれたうえ、ホテルまで送ってもらいました。
後にも先にも、メジャーリーガーに弁当まで作ってもらった記者なんていないでしょ…というのがささやかな自慢です。
 そういや、車中で「アメリカはとにかく、体力がないとやっていけないですね」と話していたのも思い出します。

メジャーで6シーズン、最後は42歳までプレーできた理由はそのあたりにもあるかもしれません。

とりあえずお疲れ様でした。次は指導者として、経験を伝えていってほしいと願っています。

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