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仕事ができるできないは、大した問題じゃない。
知人が大病を患って、身体の大事な器官をいくつか失っていた。たまにログインするfacebookで知った。
仕事ができる人だ。エネルギッシュで、いつも怒ってた。
毎晩のように大酒を飲み、強い煙草を手放さなかったのは、今思えば仕事のストレスのためだったのではないか。
いわゆる「叩き上げ」で経営層までのし上がった彼。高級車に乗ってたから、収入はよかったはず。でも、どれだけ仕事ができたって、そのせいで健康を損ねてしまっては、元も子もない。
40代前半まで僕は「仕事ができる」イコール「幸福」だと思い込んでいた。
頑張って、ちょっとばかり前より仕事ができるようになって、しばらくしてから気付いた。
仕事ができたって収入は伸びない。できない他の人の仕事もしなくちゃならない。下手すると役職が上がって責任が重くなる。
これはサラリーマンでいる限り、この身に付きまとう限界だ。
会社は蟻の社会に似ていて、従業員は働き蟻で、その一匹一匹が自らの幸福を願っても、それは叶わない。
いったんはそうあきらめかけたけど、会社からひどい仕打ちを受けた僕は辞める選択をした。あのまま会社にいたら、僕もストレスで酒が増えて、睡眠時間も不足して、身体を壊していただろう。
そういう意味では、ひどいことしてくれた会社には感謝すべきか。
仕事ができるから、会社組織に健康までささげてしまう羽目になるのかもしれない。
できないから、会社を飛び出す羽目になってよかったのかもしれない。
仕事ができるかできないかなんて、人が持つ数多いスキルの一つでしかなくて、他よりそれが重要というわけでもないのだった。
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