水陸両用とミニマリズム
数年ぶりに海に浸かって泳いでみたんですが、たまには海もいいですね。海の水の冷たさと、外気の暑さで気持ちよくなります。人がたくさんいると、ちょっと気が滅入ってしまいますけど、人が少ない海なら、気兼ねなく入れます。
さほど泳ぎが得意じゃないので、足が届かない深いところまで行くと急激に焦ります。まぁ、ほどほどに、がちょうどいいでしょう。波打ち際なら、別に泳がなくても、ぼんやり漂っているだけでも満足です。
さて、海やプールに入るためには、裸のまんま入るわけにはいきませんから、当然、着替える必要があります。
そう、水着です。
わたしは今回の旅を迎えるまで、水着は不要なモノとして捉えていました。でも、その評価を今回、少し改めたいと思っています。
海やプールに行かないなら水着は不要である!
上でも書きましたけど、海やプールに行くことはここ数年、なかったので、水着も当然「不要なもの」と考えて、数年前に手放したっきりになっていました。
そして彼の地に来てからも「泳ぐこと」とは全く無縁の生活を送っていたので、「水着はなくていいよね」という印象を持っていたのはいうまでもありません。
だって、泳ぐことがないんなら、水着は不要ですし、不要なら、持っている必要もない。最悪、レンタルがあれば借りればいいじゃないか。くらいに思ってました。
実際、フィンランドのサウナに行った時は水着を借りましたw
ちなみに、ドイツでは「海で泳ぐ」というのは地域が限られているので、わたしが積極的に「海で泳ぐ」と思わない限り、泳ぐことは無縁になりそうです。
プールや、サウナはあるので、そちらで水着着用することは必要ですが、それでもそうそう、チャンスはなさそうに思います。
ということで、基本的には海に行ったり、プールに行ったりすることはほとんどなさそうなので、水着はなくても問題ない!といったスタンスです。
水陸両用の衣服と考えれば、水着もあり
今回の旅で、「海に行く」というのも一つのテーマとして考えていたので、水着の必要性について考えてみました。
海で水着を借りるというのは聞いたことがない。そしてココは異国の地。借りようと思っても、借りれるチャンスはないかもしれないし、うまく意思疎通できず、借りることすらできないかもしれません。
そうなったら「海に行く」から、海で泳ぐまでは至らず、足を濡らすだけで終わったかもしれません。
でもですね。
水着を「海、プールのときだけ使う」と考えるから、それができないときに「不要」と判断することになります。
そうじゃなくて、活用を考えます。例えば・・・
そう。部屋着として使うという方法もあります。実は旅に出る数日前から、水着を部屋着にして使うことをしてみました。結果、「これ、意外と使えるんじゃね?」という感想です。
まぁ、今年は気温が低くて、半袖短パンでいる期間が短かったので、あまり長く実験はできませんでしたが「夏場はずーっと水着でもいいかもしれない」と思い始めていました。
海に潜って、水着でそのままうろつく
さて実践編。実際に水着を着て、海に入り、そのまま着替えずに、街を散策したり、レストランに入ったり、買い物したり、バスに乗ったりしました。
「しました」とあるように、もう、全部やってます。
そうなんです。別に水着だからといって、入店を断られたり、変な格好をしているといって後ろ指を刺されたり、不当な扱いを受けることはありませんでした。
周りの人を注意深く観察すると、まぁ、この地がそういう土地柄だからかもしれませんが、水着のまま街を練り歩いている人を結構見かけます。老若男女、そういう人はかなりいます。
別にそれを咎めたり、気にして恥ずかしそうにしている人もいません。「なんだ、皆普通に、水着で歩いてるやん!」って感じです。
半袖短パンがデフォルトの土地なら、別に水着を来たまま歩いても特になんの問題もなさそうでした(あくまでも、短パンのような水着に限り、です。競泳用のは流石にいませんでした)。
この時期、この地では当たり前の光景かもしれません。
そう考えると、水陸両用の水着スタイルというのは、とても楽だし、理にかなっていますよね。
暑ければそのまま海にドボン。
水着を乾かしつつ、疲れたら陸に上がって街を散策。
食事をとってもいい。
そういうライフスタイルをおくれるアイテムは「水着」しかありません。ましてや裸でうろつくのはご法度です。
まとめ
水着は必要ないと思い、数年前に手放しました。そして今回の旅で必要になると考えて、水着を導入しました。しかし、「海やプールに入る時だけ」という水着の使い方、どうにかならないか?と考えていました。
部屋着として使うこともできるし、そのまま外に出て街を出歩いても、特に気に留められることもない。そういうことがわかってきました。
だったら、夏の部屋着として、水着を選択するのもありじゃなかろうか?という考えに至りました。
過去に手放したものであっても、考え方や、使い方によってはまた手にするということはあり得るみたいです。
それでは、また。