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紫陽花は環境変化を生き延びられるか

6月に入り、梅雨らしいお天気、と思いきや、夏日も続く日々ですね。
(うちにはテレビがなくて、梅雨入りしたかどうかわからずですが。。。)
皆さま、ご体調は大丈夫でしょうか?

実は私、この時期に気になっていることがあります。
それは、紫陽花は今年生き延びられるか、ということ。

きっかけは一昨年、6月なのに30度を超えた日に、ツボミのついたままの紫陽花が立ち枯れているのを見かけてしまったのです。

紫陽花といえば雨にこそ映える梅雨の日々の癒し。
路地や道路、いろんなところに咲いていて、
「この緑は紫陽花だったんだ」と気づいたり、
「紫陽花があるから梅雨も悪くないな」なんて思ったり。
そんな私には紫陽花が咲く途中で枯れている光景は初めてで、「かわいそう……」とひたすら心を痛めておりました。

でも去年も暑い6月を迎えて、同じような状況を目撃。
ああこの日本は紫陽花にとって住みにくい場所になってしまったんだなと、悲しくなりました。

とはいえ止められないこの環境の変化。
今思っていることは、紫陽花は適応できるんだろうか、ということです。

きっと今、紫陽花の中ではいろんなシステムの組み替えが起こり始めているでしょう。
水分を少しでも溜めておかなきゃとか、花の形態はどうなんだとか。
私は大変微力ながら、それを心から応援しているのです。

私は特定の宗教は持っていないのですが、なんだか昔からけっこう強めの運命論者だったりします。
「今の時代、どうなっちゃうんだ」という声も聞かれますが、昔がよかったのかというと全然そんな風にも見えなくて、ある部分では厳しいけどある部分ではやはりすごく恵まれている、そんな時代に私は生きていると思います。

そして、これは私達みんなそうだと思いますが、生きてるとなんでこんなことがこのタイミングで…!という出来事やショックもたくさんありますよね。

私はそういう、私が生きていることに関する色々なことについて、
「どうしてそうなんだろう」
「どんな意味があるんだろう」
「じゃあ私はどうしたらいいんだろう」
と、そういう運命なんだという前提で考えているような気がします。

そして、振り返ると、色々思い通りにいかないことに対して自分なりに選んできた道があって、それが今の私をつくっているんだな、と思います。
もちろん我ながらしょうもないなーとかイタいなーとかいう雑感はありますが、それが私の環境適応、もっというと生存戦略だったんだなって。

私たちが今どれだけ苦しくても、立ち止まっていたくても、私たちの時間は前にしか進まないんです。

「無理」「やだ」「こうがよかった」ってなる日も全然ある。
ひとしきりむくれたり騒いだり怒り狂ったその先に、どうしていきますか。
どんな自分でいますか。
私はそんなことを自分に問うてます。

スクスク育つ、とはいかない日々の中で、私たちは何を選び、何を捨て、どう生きていくのかな。

頑張れ紫陽花!
頑張れわたし!
頑張れわたしたちみんな!!!

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