#12 自分のHISTORY~1996年音楽と美容について
皆さん、こんにちは。
ビューティークリエイティブエバンジェリスト(美容家)、美容師、ヘアメイクアップアーティスト、の柳 延人(やなぎ のぶと)です。
今回は、#11に続き、僕がビジュアル系バンドのヘアメイクとして、あるバンドとの出会いがあり、自分の環境が大きく変わっていった、1996年の音楽と美容について書きました。
1.HISTORY
本格的にビジュアル系ヘアメイクを中心とした活動を始めた僕は、次々といろいろなバンドのヘアメイクを行い、もはや他の仕事を受ける余裕がなくなるほどになっていた。
当時、契約中だったヘアメイクスタッフも、ビジュアル系の仕事が中心になっていったウィローから、徐々に離れていった。
しかしその代わりに、ビジュアルバンドのファンから、アシスタント志願者が急増した。
今現在、ウィローで活動するヘアメイクのMは、この時期に僕のアシスタントに志願、25年目となる大ベテランヘアメイクに成長、大物アーティストの現場で活躍中である。
結果、ビジュアル系が好きなスタッフで構成されたウィローは、益々この業界で活動幅を広げていった。
そして当時、BMGビクターでシャ乱Qなどを手掛ける売れっ子ディレクターM氏と、仕事を通じ、プライベートでも仲良くしていたのだが、そのM氏が東芝EMIに移籍を表明、EMIで初めて担当するバンドのヘアメイクをやって欲しいとの依頼があった。
もちろん二つ返事でOKしたのだが、このバンドとの出会いが、僕の環境を大きく変えることになるきっかけとなった。
『名古屋系』
名古屋バンドの活躍、それを後押しする円盤屋の存在、中京圏V系インディーズシーンは異常な盛り上がりを見せ、そのムーブメントの渦中にいたバンドは、当時の音楽メディアなどにより"名古屋系バンド"と称されるようになっていた。
その名古屋系バンドとして、M氏が手掛けることになったのが、『Laputa』。
ジャンルは、ビジュアル系としては珍しい、ハードロックでありながら、
オルタナティヴ・ゴシック・ポストパンク・プログレッシブを融合したような、今までに聞いたことのない音楽のバンドだった。
ヘアメイクも独特の拘りを持っていて、初めて会った僕にもかなりの警戒心で、打ち解けるまでにかなり時間を要したのを今でも覚えている。
M氏が東芝EMIで初めて手がけるアーティスト、
音楽プロデューサーには、元ZIGGYの大山 正篤氏、フォトグラファーには、X-JAPANのhide氏などを手掛けた菅野秀夫氏、スタイリストには、BACK-TICKなどを手掛けた八木智晴氏など、M氏の意気込みが尋常でないほど感じられた。
そして、『硝子の肖像』でメジャーデビューを果たした。
この手のジャンルは、いわゆるJ-POPなどとは違い、オリコンを賑わすような存在ではなかったものの、後の1997年6月8日には、東京の新宿アルタ前広場(元、新宿ステーションスクエア)にてゲリラライブを行って約5000人を動員し、その模様が翌日のスポーツ紙6紙とTV番組で取り上げられるなど、名古屋V系Laputaは、メジャービジュアルバンドとして、快進撃を続けていった。またこの頃は、全国で行われたCDリリースのコンサートツアーに全て同行、地方都市への出張が多くなり、都内での現場は、スタッフに任せることが多くなっていた。会社としての売り上げは正直落ちていたが、好きなロックと共に日々を過ごせることに幸せを感じていた。
Laputaは、V系ロックシーンにて、僕がビジュアル系メイクというジャンルで確立するきっかけになったルーツなバンドであった(2004年、惜しまれながら解散)。
彼らのおかげで、V系メイクを武器にさらなる快進撃が続くのだが、さらに僕の運命を変えるバンドと出会うことになる、、、
2.MUSIC JAM
ここでは、僕の記事の内容の年代に流行っていた洋楽の中から、柳レコメンド曲を僕なりのライナーノーツとしてご紹介していきたいと思います。
V系メイクで、好きなロックと共に日々を過ごせることに幸せを感じていた1996年、この年の僕のレコメンド曲は、『 レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン』の『ピープル・オブ・ザ・サン』です。
過激で政治的歌詞をラップするボーカル、ブラッシングやスイッチングで派手に演出するギター、独特のリズムによる重いグルーヴのサウンドは、ミクスチャー・ロックの先駆けでした。
また、アルバムのジャケットには、抗議の焼身自殺をするティック・クアン・ドックの衝撃的な写真が使われたり、ウッドストック 1999では、演奏中に逆さに吊るした星条旗を燃やすなど、当時の僕にかなり衝撃を与えてくれたバンドで、影響で僕のメイクも過激な提案のものが増えていました。
Rage Against The Machine - People of the Sun
そしてこちらは、『洋楽ジャム』より、1996年のロック名盤ベスト10になります。
1. オディレイ / ベック
2. エンドトロデューシング / DJシャドウ
3. 弐番目のタフガキ / アンダーワールド
4. ファジー・ロジック / スーパー・ファーリー・アニマルズ
5. リチャード・D.ジェイムス・アルバム / エイフェックス・ツイン
6. エンペラー・トマト・ケチャップ / ステレオラブ
7. ファウンテンズ・オブ・ウェイン / ファウンテンズ・オブ・ウェイン
8. アンチクライスト・スーパースター / マリリン・マンソン
9. タイダル / フィオナ・アップル
10. 天使のため息 / ベル・アンド・セバスチャン
ちなみに僕は、『マリリン・マンソン』の『アンチクライスト・スーパースター』が名盤です。
3.BEAUTY
ここでは、僕の記事の内容の年代に流行っていたビューティーに纏わる内容をご紹介していきたいと思います。
1996年は、美容室の数が増加、そして、美容師の数が過去最高となった年です。 高い独立志向により、開業を希望する優秀な美容師人材が増え、また、美容師の高収入とおしゃれでゆとりのある生活に憧れ、美容師希望者が増えたと言われています。
また、エステティック市場が拡大、美容業だけでなく、異業種からの参入が増加し、4000億円前後の市場規模に成長した年とも言われています。
従来、脱毛や美顔が中心だったエステティックですが、痩身・全身美容、リラクゼーションというストレスケアとして、ヘルスケア産業の中心的存在となりました。
今後、市場拡大において、さらに細分化したサービスの向上によって、さらなる拡大の余地があるといえます。
最近は、シャネルから男性向けメイクアップ製品が発売されるなど、男性の美意識にも変化が起きていますので、メンズ向けのエステティック市場も期待できます。
また、セルフケア製品は、エステティックサロンと競合ではあるものの、セルフケアの新しい流れを柔軟に取り入れることで、エステティックサロンの市場拡大にも繋がっていくでしょう。
最近僕は、美容ができる健康措置として、『美容と健康 ビューティー&ヘルス』講座を行なっています。
また、美容で日本を創生する『美容創生プロジェクト』を行なっています。
コロナウィルスの感染症拡大で、我々の健康が阻害されている今、美容家として、美容ができる全てのことを提供し、困難な方の力になりたいと思っています。
タイトル写真及び、その他写真出典
https://www.discogs.com/ja/Rage-Against-The-Machine-People-Of-The-Sun-EP/release/501333
https://www.pinterest.jp/pin/699183910878531892/
http://rocks.studio-web.net/hm/Marilyn_Manson/Antichrist_Superstar.html