吾輩は留年生である
世の中に大学で留年する人間は割と見かける。浪人もよく見かける。
しかしながら、高校での留年や浪人は現代社会においてあまり見られる存在ではなくなっている。
そんな中、私は高校を2留している。
高校で2留である。
まず尋常な人間ではない。
もちろん誇る事ではない。
が、正直な事を言えば、これは私自らが選んだ道でもある。
そのことについてなんとなぁく書いていこうと思う。
自己紹介
そもそもお前誰だよという点からだと思うので、一応の自己紹介をば。
私はうぃれむ・で・ぐらーふという名前でインターネットをクラゲのように漂っている一般人です。
留年の経緯
では、留年の経緯について語っていこうと思う。
市内の某中高一貫校の中学受験に失敗した私は元からあったいじめなどからのストレスが中1の夏に爆発、2学期から不登校になっていた。
当時の私は
「こんなクソみてぇな人生にはクソみてぇな顛末がお似合いだ」
と言わんばかりに、荒れていた。
まぁ後々発覚するのだが、鬱と適応障害を患っていたが故の精神的自傷行為などを繰り返していた。
そんなこんなで中3となったはいいものの、進路希望なぞある訳が無かった。
とりあえず従兄の通っていた高校を受ける事にした。
だが、中学をまともに行っていない上勉強もできない人間が受かる訳が
あった。
受かってしまったのである。
当時の自分は国数英の試験のうち国語だけ解いて残りは白紙で出すという暴挙に出たにも関わらず、受かってしまったのである。
これが言っちゃ悪いが底辺高校とかならまだしもそれなりの私立である。
受かってしまったのだった。
そう、何度も言っているが受かってしまったのである。
ここまでこの言葉を強調するのはそれが後の苦しみに影響したからだ。
晴れて高校入学?
しかし、私らはコロナ禍の影響をモロに喰らった。
高1で晴れてリスタートと意気込んでいたもののコロナ禍によって休校を余儀なくされるなどしてリズムを大きく狂わされた。
無論狂わされたのは私だけではないものの、これによって私は鬱などから体調を崩すなどの悪影響を喰らい始め、単位認定が危ういところまで行った。
転校も勧められたものの、せっかく受かった高校で卒業するという事にこだわった当時の私は愚かにも留年の選択肢をとった。
ただ、どうしたにしても多分留年したり年数が伸びるのは避けられなかっただろうと今は思うところもある。
いばらの道
留年という決断をした私は2度目の入学式を迎え、また1年生として再スタートすることにした。
が、やはり留年した事の後悔などは根深く、結局前年よりも出席が減るなど本末転倒な事態になってしまった。
そうして、
「流石に2留は認められない」
という事で某高校へ転校する事になった。
ただ、持っていく単位が足らず、結局3度目の高校1年生をやる事になったのだった。
新天地
転校の結果だが、その高校ではなんだかんだでストレートに進めている。
現在は大学受験に向けて頑張れるほどにはメンタルも回復してきている。
しかしながら、やはり勉強に関しては中学高校の基礎の部分が弱い事もあって苦戦を強いられている。
それでも前を向いて色々と取り組めているのは成長しているのだろうとは思う。
と、まぁ経緯はこの辺にしておいて、私が何を言いたいのかを少しずつ話していきたい。
まず、選んだ道という点で言えばある意味
「自業自得」
とも言える結果ではある。
しかし、そんな後悔の多い不登校・留年生活の中でも逆に経験したからこそ気付けた道や見えた世界もあった。その点では後悔こそすれども、選んで間違いだったとは思っていない。
世間一般から見れば、レールから外れた不届き者と思われるのは承知の上だが、私は留年して良かったと言えるよう頑張りたい、と思う。
それは、これまで自分を馬鹿にしてきたりした人間への反骨精神でもあるが、何より
「留年や不登校を経験したからこその見える道」
というのが今の自分の形成に大きく関係しているからだ。
では、その留年や不登校を経験したからこその見える道とはどのようなものか。
これに関しては、私は結論とかそういうモノではないものの、思う事がある。
それは、
「人生は山登り」
という事だ。
さだまさしの『道化師のソネット』ではないが、別々の山をそれぞれの高さという目標目指して登っていく。
その中で過去の自分という麓が見えてくる。
かつて通った道も俯瞰して見えるようになっていく。
そして過去の自分を振り返り、それを糧にして前進をまた始める。
時には嵐や落石といったトラブルに遭うかもしれない。
それでもめげずに歩み続ける。
それが人生なのではないか?という事だ。
無論途中でリタイアする事もあるだろう。でも、そのリタイアした人からバトンを受け取り、また次の誰かにバトンを届けられれば生きた意味はあるんじゃないか、とも思う。
正直、まだ19年と少ししか生きていないので、薄っぺらいと言えば薄っぺらい中身だし、この文章も稚拙極まりないモノと感じる。
だが、この自分の経験を読んでくれた誰かの人生の登山道を少しでも照らす灯りになれば幸いと思う。
誇る事ではないが、私はあえてこう言いたい。
吾輩は留年生である、と。
それは、自分の為であり、誰かの為に。