君の寝顔に胸がざわつく
両親との関係や家庭環境が恋愛に影響するのはよくある話だ。
小さい頃、うつ病の母親が昼寝から起きるのをよく待っていた。
声をかけられなくてそばでそっと寝顔を見ていたり、ちょっと腕をつついてみたりしていた。
目覚めた母は、ハッとして「もうこんな時間?!ごめんね、夕飯作るね」と言ったり、「起きなきゃ、おきなきゃ…」と呟きながらまた意識を手放すことも多かった。
胸の奥を撫ぜられるような、ムズムズが湧き上がってきて、寂しかった。
時々私が駄々をこねるととても申し訳なさそうに「ごめんね…」と言ってくれた。
ある時、小学校で縁日が開かれた。
母親と買い物に来ていた友人が持っていた何か…確かカラーペンのようなものが羨ましくて「まだやってるよ」と教えてもらった私は、意気揚々と帰宅した。
玄関を開けたあとの静寂で、いつも通り母が寝室にいることを悟った。
今日はもしかしたら、という淡い期待を抱き締めて枕元に向かった。
「一緒に行こうよ」と言うと「お母さんは行けないから行っておいで」と返ってきた。
その後のことはよく覚えていないが、何度か粘ったものの、結局出かけなかったはずだ。
「そんなに行きたいなら一人で行っておいで」
と言われたけれど、ごめんねとは言われなかった気がする。
「一人なら行かない」と言った時、幼心に私が羨ましかったのは"お母さんと買い物に行くこと"だったのだと思った。
元気なお母さんでいいな、と考えて罪悪感に駆られた。
私に傾聴力があるのは、母の話をよく聞いていたからだと思う。
母の悩みごとや、不安なことをごくたまに聞いていた。というより、母が疲れていそうな気配を察すると「つかれてるの?」と確認してしまうのだ。
その流れで話を聞いていると、母が泣いてしまうこともあった。
気持ちを吐露しながら涙を流す母の頭を撫でると、シャンプーとタバコの匂いがした。
時は流れ、今の私は恋愛に苦しんでいる。
彼との関係が良いのか悪いのか、正直よく分からない。
付き合う時に、「好きとかはよく分からないけど、愛されない寂しさは分かるし愛したいと思う。初めて何かをしてあげたいと思う人に出会った」と言ってくれた。
好きが分からないのに、愛が分かるのかどうか怪しいところではあるが、愚直で隠し事が下手で、一生懸命私に向き合おうとしてくれる人だ。心根も優しい。
喧嘩はするし傷ついたことも何度もあるけれど、話し合いができる人だからここまでやってこられたんだと思う。
話を戻す。
上記のような母親との関係もあってか、私は人に甘えるのがあまり得意ではない。
彼氏とは付き合ってすぐに信頼を脅かす事件があったので、色々落ち着いて最近ようやく安心して側にいられるようになり、甘えられるようにもなってきた。
ただ、最初の頃の事件と彼の家族の問題と、仕事の忙しさが積み重なった結果、彼がもともと患っていたうつをぶり返してしまった。
彼氏が寝てるのを見てると、起きるのを待ってると小さい頃の寂しさがパズルみたいに重なって悲しくなる。
夢現にこちらへ伸ばされる手も、普通なら可愛いとか、愛しいと思えるはずなのに、縋るように握られると何かを許さなければいけない気がして、直視できなくて離したくなってしまう。
目を背けちゃいけないと思うのに、途端に私は幼少期に引き戻されてしまう。
何かを我慢させられているような気持ちになってしまう。
誰も悪くないのに、疲れてる彼の頭を優しい気持ちで撫でてあげたいのに、そうできない自分がもどかしくて狭量で悔しい。くやしい。
気づいてから涙がとまらない。