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正義とか正しさとかいう麻薬。

盛夫の朝の備忘録#631

おはようございます😊

色々と感じ、色々と氣付きの多い毎日を過ごしておりますが、こうして今日私が存在出来ている事は、奇跡なのだと感じています。

存在に善も悪も無く、善と悪を創り出しているのは、自分の中の想いだと氣付くと、視界は変わります。

正しさや正義などの概念は、暴力装置の一面もあり、他者を攻撃する為の方便でしかなく、正しさや正義は、そもそも視点を変えたら、ただの方便だという事に氣付くと、とても危険だという事がわかります。

お互いに正しさや正義を振り翳して、暴力を振るっている状態こそが、戦争です。

どちらの側にも正当性や正しさを振り翳しているし、相手を悪だと決め無ければ、武器を手にする事が出来ません。

争いは、正しさや正義という暴力を振り翳しているだけに過ぎません。

どちらの側にも、ある程度の正当性が存在します。

暴力団の様な反社組織ですら、自分達の存在意義を持っているのは、彼らの中に独自の「正義の概念」が存在するからであり、根底には、自分達が存在する為の都合の良い正義という幻想を抱いているからに他ならない。

そう考えると、善悪や正しさや正義や正解などと言った概念自体が、私から見れば、とても危険な暴力装置に見えてしまいます。

善悪や正しさや正義を否定してる訳ではありません。

それらの危険性を自覚する必要があると感じています。

自分が正しいと想うと、人は躊躇なく他者を攻撃できる生き物です。

SNSの炎上などを目にすると、正しさや正義を振り翳して、批判して攻撃している人達のエネルギーの凄まじさには、驚愕してしまいます。

改めて考えると、正しさや正義は、麻薬の様な作用を人に与える事がわかります。

間違いを正して、相手を批判して攻撃し、正義を感じて、快や悦を感じる。

SNSの炎上などを目にすると、どちらの側も、クソだなと感じる。

未熟な人間しかいないこの世界で、正義という暴力装置ほど危険な想いはない様に感じます。

感謝の想いや敬いの想いを感じる人生を歩みだすと、そこには未熟者同士が支え合って生きている世界だという事が、ヒシヒシと感じます。

戦争にしても、環境破壊にしても、その原因となる存在は、全て人です。

もっと言えば、全員が加害者であり、全員が被害者である訳です。

私は、被害者意識だけを持つ事に抵抗があります。
それは、私の中に明確に加害者意識も存在しているからです。

争いを存在させているのは、私も加担している事に氣付いたからです。

私が、全ての存在に加担している事に氣付いた瞬間、私は愕然としました。
しかし、どんなに考えても自分に辿り着く結果にしかなりませんでした。

まさにバタフライ効果です。
蝶の羽ばたきが、台風を起こす。

そんな一見するとありえない様な事ですが、風が吹けば桶屋が儲かると言った連鎖で、世界は全てが繋がっているのです。

凄い仕組みで、世界は繋がっています。

「想い」が全ての存在の源だという事に氣付くと、「想い」を利用する思想が生まれた事も理解できます。

そして、思想を利用して出来たのが、文化や社会です。

思想が悪い訳ではありません。
むしろ思想は、凄まじいエネルギー源だという事です。

そして、自分達の思想の正当性を表した行為が、「正義」という副産物になります。

人は、思想を抱く事で、凄まじいエネルギーを手にする事が出来ます。
そして、自分の中に正義の想いを抱く事で、相手を悪とみなし、躊躇無く攻撃してしまいます。

それが争いです。

この世の中に争いが絶えないのは、悲しいかな正義や正しさという概念が、反転した為に起こった悲劇だという事です。

正義や正しさという想いは、それほど凄まじいエネルギー源であり、快や悦を人に与えます。

その事を踏まえて、もう一度歴史を学び、歴史を振り返り、考える必要性がある様に私は感じています。

思想は、人間社会にとって必要だと感じながらも、その危険性も認識しておかなければならないと私は感じています。

間違いを正す事は、大事な事ですが、やり過ぎてしまう事も多いのが、現実です。

私自身もこれまでに沢山の誤ちを犯してきました。
それは、私自身が未熟だったからです。

だから学び、氣付き、考え、改善し、生き方を模索するようになって、こうして毎朝、自分の想いを確認して書いて、評価や批判を覚悟して公開してるのです。

これは、言ってしまえば、私の平和に対する想いが表れた意地です。

「ハチドリの一雫」の様な想いですが、今の私は世界の平和を願う想いで、この備忘録を書いています。

どの様に作用するかはわかりませんが、私の想いは、1,000年後にも山都町の東竹原地区の様な大自然をそのままに残しておきたい想いで書いています。

人それぞれに活動の仕方はあると思います。
私は、私に出来る事を、「ハチドリの一雫」の様に丁寧に毎日コツコツと積み重ねているだけです。

人の想いの力は、本当に凄いと感じます。
だからこそ、私は私の想いを文字に残して、想いを伝えています。

平和な世の中で、大自然をそのままに1,000年後の未来に残していきたい想いで、毎朝書いています。

連続630日を過ぎ、初めの頃は何も考えずに、ただただ自分を変えたい一心で書き始めて、次第に自分の想いに氣付き、日々変容を感じながら、行動が変わり、生き方が変わり、出愛が訪れ、「1日もりお利用権」の活動を始めたり、山都町の東竹原地区のゴミ処理施設の建設問題や環境問題と向き合うようになりました。

何も無かった630日前には、思いもしなかった変容を、私は手にしました。

そして、自分の中の沢山の想いに氣付きました。
皆さんに感謝しています😊
そばに居てくれて、ありがとうございます😊

感謝の想いでいっぱいです😊

今日も朝が来ました😊
生きています。

最後まで読んで頂きありがとうございました😊

皆さんに感謝しています😊
皆さん御自愛ください😊
良い1日を😊

日日是好日😊
2023年8月24日(木)
葉月、処暑、綿柎開。
松合より😊

写真は、今朝の松合の朝陽です😊

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