終戦記念日と祖父の教え。
盛夫の朝の備忘録#990
おはようございます😊
終戦記念日の8月15日の昨日。
1945年、祖父は通信兵として中国で戦争し、8月15日を境に戦争は終わり、帰還兵として日本に帰ってきましたが、帰還した日本の姿は、祖父が知っている日本ではなかった様です。
敗戦後アメリカ占領下の日本は、GHQの政策により、色々と変えられ、今もその影響は残っている様に私は感じています。
明治維新以降、西洋列強の影響を受けて、色々と変えられた日本。
そして、太平洋戦争終戦後に徹底的に変えられた日本。
例えば、終戦後に横書きの日本語の読み方などは、右から左に読んでいたのが、左から右に変えられたりと、文化や風習や習慣等も政策によって、色々と変えられた様です。
大正生まれで、日本兵として中国に渡って帰還した激動の人生を歩んだ祖父の口癖は、「こんな日本はいつか滅びる」でした。
最近、本当にそんな氣がしてます。
私達兄弟が幼い頃、祖父は私達を眺めながら、「こんな事では、日本はいつか滅びる」と口を尖らせながら、幼い私達兄弟を叱りつけていました。
基本的に私達兄弟や孫には、優しい祖父母でしたが、たまにスイッチが入ったように、口を尖らせて叱る祖父は、兎に角怖かったのを覚えています。
私が子供の頃の祖父は、まだ現役の海の漁師であり、食卓には漁で取ってきた海の幸が沢山並んでいました。
優しく荒々しい祖父でしたが、10年程前に静かに旅立ちました。
祖父の人生を想像すると、とても壮絶な人生だった様に感じます。
20代で戦争に巻き込まれて、日本兵となり、帰還後は高度成長期を体験し、漁に出たり、出稼ぎに行ったりして、父や叔父叔母を育てあげて、やがて長男だった父は結婚して、家族を連れて松合に戻り、祖父母との同居が始まりました。
今思えば、兎に角祖父母は強い人でした。
1945年8月15日終戦。
祖父が、戦争から生きて帰還したおかげで、私はこの世界に存在出来ています。
もし、祖父が中国の地で戦死していたら、私は存在していません。
そして、なんとか生きて帰還したが、変わり果てた日本を目にした祖父。
「日本はいつか滅びる」が口癖でしたが、歳を重ねて晩年になると祖父はそんな事は言わなくなっていました。
その時はもう既に祖父の知っていた日本は、滅びていたのかもしれません。
私が生まれるずっと前の戦前の祖父母が知っていた本当の日本が、段々と失われていくのを見るのは、切なかっただろうなと私は感じています。
大きな何かを失い続ける日本。
何を失い、何が変わっているのか、私にはわからない事が多いのですが、私が生まれた時の50年前の日本と今の日本では、確かに文化や風習などは、多くの事が変わり果ててしまいました。
祖父が言っていた様に、日本という国の中身は、既に滅びたのかもしれません。
残ったのは、精神性を失った日本という名前だけの国なのかもしれません。
色々と変えられてきた事で、私にも影響は及び、戦前生まれの祖父母が持っていた日本人としての精神性は、私にはあまり継承されていない様に感じます。
とはいえ、祖父母と同居していた事で、祖父母から學んだ事は沢山私の中に宿っているので、そのおかげで、私は道を踏み外す事なく、今日迄生きて来れた様に感じています。
そんな事を昨日は想いながら過ごしていました。
失われた日本。
滅んでしまった事は、取り戻す事は出来ませんが、まだ若干の可能性は残っている氣がするので、私はその可能性に掛けて、世界平和を志して、生きています。
これからの日本が、どうなるかはわかりませんが、日本も含めて世界が平和になる事を願い、意宣りを捧げて、今日も生きます。
先ずは、ハチドリの一雫の様に、私に出来る事からコツコツと積み重ねていきます。
あと10日でこの備忘録の連載1,000回目を迎えます。
チリも積もれば山となる様に、私の変容の記録もやっとこさここまで来ました。
諦めなければ、人は変われる。
その事を実感しています。
人生は、自業自得です。
やった分だけ変われます。
私が世界平和にどれだけ貢献出来るかなんてわかりませんが、やれる事をコツコツと今日も積み重ねていきます。
最後まで読んで頂きありがとうございました😊
愛、感じて生きております😊
ご縁に感謝しております😊
御自愛ください😊
良き1日を😊
日日是好日😊
2024年8月16日(金)
葉月、立秋、寒蝉鳴 (ひぐらしなく)
松合より😊