![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/83318626/rectangle_large_type_2_c41dd03da3aecfb56f5b0360f5f50e1a.jpg?width=1200)
盛夫の朝の備忘録#237
おはようございます😄
寝た。
ぐっすり寝た。
楽しかった2日間のサイハテ夏祭り。
子供達が遊びまわり、皆んな笑顔で優しくてずっと笑顔でいれる空間。
酒を飲み、語りあい、プールに飛び込み、サウナで整い、スイカを食べて、ピザを焼いて食べる。
目の前を子供達がはしゃぎ回り大人達全員が、なんとなく子供達を見守る。
ずっと笑顔でずっと飽きない。
なんとも不思議で平和な世界を体験をしてきた。
「幸せ」を感じ続けた。
サイハテメンバーの皆さんありがとうございました😊
最高でした😄
さて、エコビレッジ サイハテも突然現れたわけではない。
そこには、設立からの歴史があって、今日に繋がり明日に繋がる。
変容し続けてきたサイハテだと感じる。
沢山の人達が訪れて創り続けている。
終わりなき創作空間、ずっと未完成のままの場所。
単純に面白い。
サイハテのキャチフレーズ「お好きにどうぞ」
過ごし方には正解などなく、自分が好きな様に行動してサイハテに存在する。
あとは、各々が許容出来るか出来ないかで過ごし方にムラがある。
なんも感じない人もいるだろうし、ビンビンに感じる人もいるだろう。
人それぞれで過ごし方は変わる。
「お好きにどうぞ」は個性を問われる。
ある意味残酷なのかも知れない。
さて、エコビレッジ サイハテを通して感じる事は、日常を自分達でデザインしているかという点だ。
サイハテメンバーの皆さんは、仕事も遊びも生活もサイハテという空間を自分達で考え方向を模索して営んでいる。
一見すると普通に見えるが、そんな生優しい事ではない。
世間は、「孤独」に向かい各々が遠い距離感で生活している世界になりつつある。
合理性の誤謬(ごびゅう)
全員が正解を求めだして、1つの正解に群がり、結果的にパニックに陥る。
私から見たら世間は常に「正解」を求めて模索している。
それは理解出来る。
私も正解を求めて生きてきたから、理解できる。
それは理解出来るが、そろそろ正解という幻想など手放した方が良いように感じる。
各々が考え好きな様に過ごす。
嫌われる人は孤独になり、好かれる人は豊かになる。
残酷な現象が起きる。
「お好きにどうぞ」は、それほど残酷な現象を引き起こす。
残酷な現象を引き起こすから皆んな考える。
笑顔でいる為にどうすれば良いかと考える。
与える人になる。
受け取る人になる。
環境を創り、環境を守る。
自分を愛し、他人を愛する。
それが嫌なら出て行くしかない。
生き方が問われる「お好きにどうぞ」は、言葉を変えると「自分で考えろ」って意味にも聞こえる。
正解を求めて生きてしまうと體の緩みが遠のき硬くなる。
次元も空間も何もかもが、自分の想いが反映されて出来ている。
宗教思想や文化や歴史は、言えば模索の歴史であり、正解を求め続けてきた過程の様に感じてしまう。
感じることは、人類は模索がすきなんだなぁ〜と想ってしまう。
あらゆる学問や知識情報が飛び交う現代に置いて、もう既に答えは出ているといえるし、出てないとも言える。
決めつけは楽だが楽しくない。
模索の方が楽しいのだ。
私は、あーかな?こーかな?ってニヤニヤしながら考えて試し続けていく方が時間はかかるが楽しい。
そしてゲームの攻略本を見ながらやると早くクリア出来るが、私は過程を楽しめない。
感じ方は、人それぞれだからなんとも言えないが、時間を丁寧に過ごすことに、全てがあるように感じて私は生きています。
日常をゆっくり丁寧に過ごす。
日常を大切にする。
その積み重ねこそが、道を開く様に感じてしまう。
夜が明ける。
今日が始まる。
楽しく生きるか、そうでないか。
お好きにどうぞ。
自分で決めて、皆んなに感謝して
今日をお楽しむ。
苦しみの渦中にいるのも、洗脳社会で暮らしているのも現象でしかない。
ご自分でお決めください。
「お好きにどうぞ」
今朝は、そんなふうに感じています。
#今日も顔晴ろう 😊
顔が晴れやかになる様に行動します😊
#最後まで読んで頂きありがとうございました 😊
#皆さんに感謝しています 😊
#日日是好日 😊
#盛夫の朝の備忘録
写真はサイハテの景色です😊
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/83318604/picture_pc_5d3b0cd6da8914273fc436873d6030c7.jpg?width=1200)