死生観と氣付き😊
盛夫の朝の備忘録#175
おはようございます😊
体験や空間や時間を素敵に誰かと共有できることって中々ありません。
2日間のタントラワークを体験できた事は、奇跡のような感じがしてます。
さて、生きること、死ぬことは表裏一体だと感じています。
今日に至るまで、私は生きてます。
今朝、目が覚めました。
今朝もこうして備忘録を書いています😊
今朝、目が覚める事をどう捉えて生きているか。
当たり前ではありません。
生きてることは、当たり前ではない。
ちゃんといつか私は「死」にます。
いつかわかりませんが、私は死ぬんです😊
そうであるなら、生きてる「今」は輝かせないともったいないです。
死に方と生き方は同じです。
あらゆる思想や哲学が、ほぼ同じ事を言っています。
それは人は、必ず死にます。
思想や哲学の行き着く先は、死生観を唱えています。
私は、「死生観」を数ヶ月前から、さらに強烈に意識するようになりました。
生きること、命があること、生命体であること、今生きている、いずれ死ぬ。
あらゆる体験が、訪れています。
優しく厳しく教えてくれます。
自分を愛して、周りを愛する。
愛でる。
全てを愛でる。
そして感謝する。
生きてる事自体が、喜びであり苦しみであり体験であり実感である。
誰かと触れれば、熱を感じるし鼓動や呼吸を感じる事ができる。
相手も生きています。
私も生きています。
ありがとうございます😊
感謝してます😊
人生に無駄な体験は、無いんだなぁ〜とつくづく思います😊
私の人生は、私のサイズに合った体験しか訪れません😅
そして、訪れた機会は感情に氣付かせてくれて、いつもキッカケを常に与えてくれています。
常に氣付くチャンスは、訪れています。
私が氣付がないだけです。
人生に訪れる大きなチャンスは、数回と言いますが、私の捉え方は違います。
体感としては、生きてる事自体がチャンスタイムなので、毎日ちゃんと常に氣付きのチャンスは、瞬間瞬間に訪れています。
後は、そのチャンスに氣付いて紡いでいるかだけの違いです。
1つの事に氣付いて、行動を変えるだけで変容は始まり、後は階段を登るように氣付きながら変容が加速していきます。
出会いも変わるキッカケも何事も、小さな発見と小さな行動1つから始まります。
2020年の10月に初めて如庵を訪れました。
その後、翌年にタントラに出会えたのも、あの時に如庵と出会っていたからです。
人生は、常にチャンスが訪れています。
その種は、いつも側にあります。
もしかしたら体験に「間違い」なんてないのかもしれません。
「間違い」と認識してるのは、常に自分の状態が引き寄せているだけの現象でしかないように思います。
全てに正解も間違いもなければ、生き方、死に方にも正解がないように「死生観」を自分で持つことは、ある種の到達点であり、その到達点は常に「更新」され続けています。
死生観を育て、自分に還元して実践して生きて氣付いて成長していずれ死ぬ。
生きていることは、普通じゃありません。
当たり前でもありません。
存在してるから、当たり前と思うかもしれませんが、今朝目覚めない人も沢山いらっしゃいます。
常に誰か産まれ、常に誰か死んでいます。
私達は、そんな不思議な世界を生きながら皆さんと共有しているだけです。
そう思うと、後はもう生命を輝かせて生きる方が楽しいから、そうなりますよね😊
そんな氣付きを、この2日間のタントラワークをキッカケに改めて再認識出来たことは、私にとって良かったです😊
どうせ死ぬんです😊
生きてる間は、自分の好きなように生きればいいんです。
後は苦しいか楽しいかは、自分次第です。
全ては、自分が招いた業です。
今日も私は一歩を踏み出します😊
私は、今日も生きています。
#今日も顔晴ろう 😊
#最後まで読んで頂きありがとうございました 😊
#世界の平和を祈ります 😊
#日日是好日 😊
#盛夫の朝の備忘録
写真は、今朝取ってきた杏です😊