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出航の合図がもうすぐ聞こえる氣がしました😅

盛夫の朝の備忘録#717

おはようございます😊

何やかんやありながらも、2日間の研修プログラムの熊本県むらづくり人材育成塾・コーディネーター講座を受講してきました。

昨日は、西都市東米良地区の1,000年続く村 東米良創生プロジェクトの現場視察と質疑応答しながらの意見交換会に行って来ました。

流石に、やってる人達は違う。

一昨日の高千穂ムラたびの飯干さんの話も心に響きましたが、昨日の東米良創生プロジェクトの石川さんと濱砂さんの話もガンガン心に響きました。

大変参考になる話ばかりで、とても刺激を受けました😊

石川さん、濱砂さんありがとうございました😊

それから、2日間の研修を運営してくださった、熊本県庁の職員さんと運営チームの皆さんありがとうございました😊

とても良い体験でした😊

何はともあれ、無事に2日間の研修プログラムを終えて次回の1月26日の第3回が樂しみになりました😊

さて、何やかんやありながらも、自己変容にとって必要なのは、やっぱり行動量と体験量であり、その時の自分の状態が全てを決めていると確信しました。

生き残れるのは、変化変容して対応出来た者であり、成長しなければ淘汰されるのが、自然の摂理なんだと強く感じています。

人間社会は、時代と共に常に変わり続けて来ました。

要するに、社会構造はどの時代もずっと模索し続けてきたと言えます。

そして、今尚新しい法案が出来、古い法案が書き換えられています。

終わりなき変容の歴史を有史以来ずっと人類は続けてきました。

これが何を物語っているかと言えば、時代によって導き出される解答は違い、正解など幻想である事を証明しています。

つまり、人は愚かであるという事です。
そして、愚かである事を認めたがらないのが、人です。

愚か者であるにも関わらず、賢いと思い込んでる人間。
痛々しいですが、それが人の面白さであり、可愛い面でもあります。

私も含めて全ての人は、何かしら何処かしら、欠けています。

完璧な人はいない。

欠けているから、お互いに補い合いながら、手を取り合って生きていけるように感じてなりません。

1人では、完結しない様に出来ている世界の様に感じます。

また、1人で出来ていると想い込んでいる人も哀れでなりません。

他力を借りずに出来ている事などないのです。

食卓に並ぶ料理を手作りしたとしても、その食材は一体何人の人が関わって出来た食材か想像してみて下さい。

着ている服も一体何人の手を渡って自分の所に来たか想像してみて下さい。

全てに関係人数が含まれています。

例えば、カレーで使うジャガイモだけでも、沢山の人が関わり自宅の食卓のカレーに使われています。

ジャガイモを育てる畑、畑で使う農機具を創る人、農機具をお店に運ぶ人、農機具を買う農家さん、ジャガイモを育てる農家さん、出荷する市場人達、途中の物流機関の人達、買い付けた八百屋さん、八百屋さんから自宅。

ジャガイモ1つですら、沢山の他力によって、自分の目の前に現れています。

商品となって目の前に現れた時点で、沢山の人が関わって出来たわけです。

他力本願の本来の意味は、他力の想いに感謝し敬う想いです。

だから、1人で生きられると感じて、他力に感謝出来ない人は、哀れでなりません。

感謝の種は、そこらじゅうに散らばっているし、世界は感謝の想いに溢れているのに、憎んだり、罵ったり、喚いたりして感謝もせずに自分の優位性を誇示する人は、愚かで哀れに見えてしまいます。

私は、優れているわけでも何でもありません。

人は愚かだと、ただただ氣付き、だから人は可能性に溢れていて、沢山の挑戦が出来る素敵な存在だと氣付いただけです。

賢く感じても、残念ながら完璧な人はいません。

何処かしら、何かしら、欠けているから存在出来ているのです。

そもそも論になりますが、欠けているから、わからないから、可能性が沢山あるのです。

だから何千年経っても、一向に幸せで健康な人が増えないのは、そうした未熟で愚かな存在である証拠だと言えます。

1%の富裕層が存在してる時点で、未熟な世界だと証明されています。

搾取したり、奪ったりしても、継続する事は不可能で、巡り巡って報いは帰ってきて、償いの時を迎え苦しんで死を迎えます。

それも人生と言えばそうなんですが、死に様は生き様であり、生きる事に喜びを感じた時に、幸福感を感じ、満たされます。

そして、どの様に死を迎え、人生の最後にどの様に感じるか?

私は、生きている事は、素晴らしいと感じています。
素晴らしき世界だと感じると同時に、哀れで愚かだとも感じています。

目の前に現れた人、物、全ては時間と自然と沢山の人が創り出した芸術であり、それをどの様に感じるかで、人生の歩み方が全く違ってきます。

全ての存在そのものが芸術であり、尊く儚い存在です。

優位性を示して、自分を誇示する事の愚かさほど、哀れな行為はありません。

こうした自分の想いを書き公表する時点で、私自身も愚かで哀れです。

なんだか自分でも切なくなりますが、これを書いておかないと、私が納得出来ないので、書いています。

私自身が、欠けた存在であり、愚かで哀れな行為をする只の人間である事を受け入れなければ、これから先の私の取組みは達成出来ないと感じているので、毎朝書いて、日々精進しています。

私の内側には、既に達成したい目的が明確にあります。

今思えば「1日もりお利用権」の活動も、その為のステップであり、次の段階を感じる為の行為だった様に感じます。

私は、今後も「1日もりお利用権」の活動は続けていきますが、それ以上に達成したい目的があります。

それは、地図をベースにしたWEB地域メディア「熊本Field Map」を立ち上げ認知され多くの熊本県民の皆さんに活用してもらう事です。

その為に、これまでに沢山の事を日頃から積み重ねて、トライアンドエラーを繰り返してきました。

恥ずかしながらも、私のトライアンドエラーの軌跡は、この備忘録に全て記録して、書いて公表してきました😅

世間的に何の実績もない私は、自分を公表し、示す事でしか認知されないので、私はこうして毎朝書いて公表しています。

私には、目的があり、目的達成する為に自分で考えた挑戦の1つです。

ですが、始めた頃に思った事以上のギフトを沢山得て、多くの氣付きを得て、今に至りました。

人生が激変し、おかげさまで沢山の出逢いを経て、自己変容してきました。

昨日、やっと自分ので中で回路が繋がりあって、解像度の高いビジョンを見る事ができました😅

あとは、ボチボチ無理せず積み重ねていくだけです😊

様々な計らいに感謝です😊

最後まで読んで頂きありがとうございました😊

皆さんに感謝しています😊
皆さん御自愛ください😊
世界が平和でありますように😊
良い1日を😊

日日是好日😊

2023年11月18日(土)
霜月、立冬、金盞香。
松合より😊

写真は、昨日のむらづくり人材育成塾の集合写真と石川さんと濱砂さんとの写真です。
ありがとうございました😊

地域創生プロジェクトの説明風景
(株)かぐらの里の濱砂さんと私😊
東米良創生会の石川さんと私😊
東米良創生会の弥勒の館

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