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死んだら死体が残るんです。


色々な繋がりを感じながらも、こうして生きていますが、生命があり生きられる事のありがたさを最近は良く感じています。

體が生きている事は、当たり前ではないという事です。

「死体」という表現がありますが、魂が體を離れると死体が残ります。

例えば、私自身が死ねば当選ですが死体が現世に残ります。

私の死体を後片付けしてくれる人が、必要となるわけです。

死んだら死体が残る。
死体があるという事は、魂があるという事も言えます。

體の機能と構造があり、分離して
考える事ができますが、自我という意識が存在し、魂の依代とも言える體ですが、魂が宿っていないわけではない事は、自分の體を触れる事で実感します。

體の機能で、意識があるわけではない。
意識は、別の次元に確実に繋がっている感覚がある。
直感的にわかる。

そう考えると、やはり魂が宿って初めて生きている事を実感するわけです。

體に自我が宿る。
その感覚を強烈に感じると、自分の體という意識が芽生え、體を労る氣持ちと體に対する感謝の氣持ちが湧いてきます。

體の機能を失うと、死にます。
死ぬと魂が抜けて死体になります。
死体になると、後片付けが必要になります。

死んだら魂は抜け、霊界に行きますが、死体は残り世話が必要となります。

死生観が必要であり、家族が必要で、愛が必要なのは、最後の死体の後片付け必要だからです。

現世は、體を持つ者の世界であり、霊界は魂だけの世界なので、自分の體は、自分の責任で管理することが必要であり、自分を労わるのは自分しかいないと知ると、家族に対する接し方が、変わってきます。

自分を大事にする。
家族を大事にする。
氣持ちを大事にする。
體を大事する。
私は、死生観を持つと生き方が変わりました。

死体をどうするか。
それが終活となるわけです。
霊界に旅立つ時の後始末をするのは、作法です。

そう言った意味で死んだ後の事を想い、死体の後片付けを人に託すには、家族が必要となります。

大事な事です。
生きてる事は、当たり前じゃないのです。

その事に氣付けて良かった。
日日是好日😊

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