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時代の感性と共感

盛夫の朝の備忘録#185

おはようございます😄

最近、昔の歌をよく聴くんですが、歌詞の抽象度の高さと表現力に改めて驚いています。

中森明菜の「難破船」(作詞・作曲 加藤登紀子)
素晴らしい名曲です。

今朝は、この曲が頭を過り何度もループしているので、音楽やエンタメ作品について書こうと思いました😊

クラシック音楽・演歌・昭和歌謡・フォーグソング・ロック・ジャズ・レゲエ・ヒップホップ・JPOP・KPOPなど様々な音楽が世界や日本にはあり、私の友人にも音楽活動してる人が沢山います。

そこで1つ言えるは、音楽やエンタメ作品には「これが本物だ」と言えるものが、実はないのではないかと私は想っています。

音楽など、作り手側も聞き手側もどちらも、個々人の選択の自由があり多く売れたから「本物の音楽」とは言えないのです。

個々人それぞれに感性が違い、作り手側、聞き手側が勝手に「最高」や「本物」を自分の中で決めていいのが音楽やエンタメ作品なんです😊

あとはその曲や作品の世界感に対する「共感者」が多いか少ないかの違いです。

共感者が多ければ、沢山売れるし少なければ売れません。

音楽やエンタメ作品は、どんなに素晴らしいマーケティング戦略を駆使しても、クオリティが高くても、その時代に共感者が少なければ認知されても評価されません。

音楽やエンターテイメントにおける「作品の時代の共感性」は、それほど重要だと私は思っています。

映画や音楽にしても発表時には評価されずに、発表してから数年から10年以上経ってから再評価される作品を沢山知っています。

驚くことに、その時代の人達の「感性」と「作品の感性」がズレていたとしか表現できません。

もちろん、そう言った作品も発表時に高評価を受けたりしてますが、社会全体に「ピンとくる」人達が少なければ、評価は低いままです。

それとは逆に、一発屋的に発表時に爆発的に流行っても直ぐに飽きられる作品も沢山ありました。

なので、時代によって評価も認知も変わってきます。

音楽だけではありません。
世界の全てが1秒1秒変容し続けています。

その時代において創られる様々な作品達は、ある意味どれも本物かも知れません。

聴いた作品、観た作品、どれも全て「駄作」か「秀作」かを勝手に自分で決めていいのです。

音楽やエンタメ作品は、シンプルにその「作品の感性」に対して、共感者が多いか少ないかの違いです。

ハイクオリティの作品でも多くの人の感性に響かなければ、評価は低いだけです。

そう言った意味で、音楽やエンタメ作品には、ある意味「本物」など存在しないと私は想うようになりました。

私が聴いて素晴らしいと想える曲や作品が、他の人には共感出来なくても、私の中ではその曲や作品は素晴らしいです。

自分と他人には、ズレは必ず生じます。

ですが、その感性の部分で共感出来る者同士と出会うと嬉しいものです。

音楽にしろエンタメ作品にしろ、「作品の感性」に共感できる者同士と出会うと親近感が芽生えます。

仲間や友人が出来るキッカケもそういった「共感出来る感性」がとても重要になってきます。

時代において人々を支配するのは、様々に変容してきましたが、音楽や芸能などの様々な文化活動が変容しながらも、今も途切れることなく長く続いているのは、心を満たす「感性」を育てる事が、人間の営みの根幹だからかもしれません。

共感と創造の世界が、これからも続いていくと思います。

自分の物差しと時代の物差しが合致している人が、「売れてる」だけに過ぎないと私は想っています。

だから例え評価されなくても、自分のやりたいことをやればいい、それで幸せならいいじゃないかと私は想っています。

それがある意味「無敵」かもしれません。

偏愛、偏った愛もまた「愛」なのです。
作品とは、「偏愛の結晶」なのかもしれません。
だから共感者を見つけると嬉しく想えるのかもしれません😊

ワクワクしてきますね😊

#今日も顔晴ろう 😊

#最後まで読んで頂きありがとうございました 😊

#世界の平和を祈ります 😊

#日日是好日 😊
#盛夫の朝の備忘録
#今朝の朝陽 😊

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