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Chaos is happiness

未来を知ることが出来たら幸せだろうか?

次の角を右に曲がってまっすぐ歩くと猫が塀の上に寝そべってるのが見られる。
そして、左に曲がると上から降って来た植木鉢で大怪我をするから、ここは右に曲がろう。
そんな予見ならあっても良いかもしれない。

この仕事をこのまま進めていくと、どんな成果が達成出来るか分かるなら、もっとリソースを割いて品質を上げる決断を下せるかもしれない。
また、鳴かず飛ばずの企画にこれ以上の資金を投下しなくても済むかもしれない。

自分の選択で未来が変化する様を見られたらきっと楽しいだろう。
失敗なく思い通りに世界を渡っていけるのなら、最高の人生を歩めるに違いない・・・
誰しもそう夢想するし、欲しい能力の上位に予知予見が入ってくるのも頷ける結果だと思う。

しかし現実だとどうだろう?
もし、この予知予見の能力を持っていたら、本当にこんなに上手く立ち回れるんだろうか?

きっと否だろう。

理由はいくつかある。
決断の瞬間を起点として複数の未来を見る場合、例えば10秒先まで見たいなら、右に曲がって10秒と左に曲がって10秒、合わせて20秒前に決断ポイントを認識しなくてはいけないことになる。
三叉路で3つ目の判断が必要だったら?
立ち止まるという選択肢を加えたら?
選択肢が増えれば増えるほど、認識と判断に必要な時間が増えていってしまう。
もちろん道をどっちに進むか?だけでそうなのだから、複雑な選択ではなおさらだろう。
そしてさらに11秒後の未来は分からないので、直後に暴走車にはねられる可能性すらある。

では能力を強化したらどうだろう?
「予見中は時が止まる」
これなら解決!
時が止まってるので、どんな先まで見ても0秒である。
未来を好き放題事前チェックすれば、検討不要で誰でも正しい判断を下せるに違いない。
まさに無敵だろう。

しかしそうなると、その次の角、さらに次・・・と、無限の可能性を知らないと先に進めなくなってしまうかもしれない。
次の角、いや、次の一歩で一生の運命が決まってしまうことを恐れるあまりに。

回避は最大の防御か

能力によって失敗しなくなった場合、全ての選択肢がリスク回避に動くことになるだろう。
だが、考えてみて欲しい。
自分が成長したと思える瞬間はどんな時だったろうか?
経験を積み、昨日までの自分より前に進めた瞬間だったのではないだろうか?
経験とは何かといえば、回避しまくってきたリスクであり失敗である。

全てのリスクを回避すると、最も安全な選択肢が残り、挑戦しなければ経験も得られない。
結果として、自己の可能性、限界値、最大到達可能高度が下がってしまうだろう。

混沌よ我と共に

さて結論だ。
コツコツと安全だけを積み重ねた上に成り立つ将来設計は目に見える大失敗はないかもしれないが、大切な何かを得ることは出来ない。
それは成功することもないことの裏返しであり、失敗しないこと自体が大失敗ともいえる。
失敗を恐れず挑戦し経験を積むことは、混沌という泥沼に足を突っ込み、もがき苦しみ泥底に沈むリスクをもはらむが、大きな可能性を開くことが出来る。

どちらを選ぶのも自由だが、私なら混沌を選びたい。

Chaos is happiness.

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