#6. 旅行 【虹の彼方に】
ボクたちが交際を始めて数ヶ月たった頃、彼女が突然「旅行に行こう!」と言い出した。
それまでのボクの価値観では、旅行って仕事を休んで、計画を練らないといけないものだと思っていた。
本当に恥ずかしいことに、この年齢まで旅行なんて職場の慰安旅行くらいでしか行ったことがなかった。
時間的にも金銭的にもほとんど余裕がなかったからだ。
「私は何ヶ月かに一回、旅行に行かないとストレスがすごく溜まっちゃう。」
「どこに行きたいの?」
と、ボクが尋ねると、
「沖縄行こう!」
「沖縄?もちろん行ったことないから行ってみたいけど・・・オレ休み取れるかなぁ?」
「国内旅行なんか二十四時間で行くんやで?それやったら行けるやろ?」
「ええ?沖縄やのに二十四時間?」
「うん、私は沖縄に何回も行ってるから、本当は他のところも行きたいけど、ジョニーさん行ったことないんやろ?」
「う、うん。」
「じゃあまずは沖縄に連れてってあげる。ジョニーさんには、今までやったことないことをいっぱいさせてあげたいねん。」
そういってLCCのチケットとホテルを予約してくれた。
そして向こうでの移動するレンタカーはボクが手配することになった。
「でもさ、やっぱり沖縄を満喫しようと思ったら、最低でも2泊くらいした方がよくない?」
「大丈夫やから!絶対楽しいから!私に任せて!」
自信満々で彼女は言った。
彼女の計画はこうだった。
それまでのボクは休みが週に一度の日曜日だけだったのだが、どうにか土曜日を休ませてもらってほしいと。
そうすれば土曜日の早朝から出発すれば、昼前後に沖縄に到着する。
そのまま日曜日の昼過ぎまで沖縄に滞在して、夜に大阪に帰ってくるというものだった。
あと、彼女の目的の一つに、沖縄県の名護市に彼女のお友達がちょうど滞在しているので、会いに行きたいという。
そしてボクはどうにか仕事を土曜日に休める調整をすることができた。
旅行の当日、近所に住む彼女の友達にワンキチを預けて、ボク達は出発した。
彼女の荷物は、普段からいつも持ち歩いている、とても小さな手さげカバンひとつだけだった。
「荷物それだけ?」
「たかが二十四時間の旅行に、パンツと財布とケータイ以外に何がいるん?」
そう微笑みながら彼女は平然と答えた。
「私の旅行はいつもこういうスタイルやで。なんやったらパンツもサロンの紙パンツで使い捨てやし。」
ミニマリストという言葉が頭に浮かんだ。
ボクも荷物はかなり少ない方だが、さすがに小さな手さげカバン一つだけには負けた。
関空までは電車で移動した。
空港に着いてすぐに彼女が言った。
「まだ時間あるから、ちょっとその辺回ってもいい?」
「もちろん。」
空港なんてほとんど来た事がなかったボクは、彼女に案内してもらいながらあちこち歩いた。
「ここが国際便、いつか一緒に海外行こうねー。」
「うん、その前にオレはパスポート取らないと・・・」
興味はあったものの、ボクはこの年齢まで海外にも行ったこともなかった。
「いつでも行けるように、早めに取得しといてな。私行くって言うたら思いつきですぐ行っちゃうからさ。」
彼女のそういう奔放なところが、ボクにとってはとても羨ましくもあり、魅力的で愛おしかった。
「こうやって国際線を見て『絶対に海外に行くぞ!』って今のうちにイメトレしとき。ほな絶対に叶うから。『休み取れるかな?』とかマイナスなこと考えたらあかんで、そういうのは願いを弱めてしまうから。」
強く願ったことは必ず実現するということを、改めてボクに力説してくれた。
次に空港内のフードコートのエリアを回った。
「私ね、初めて飲食のお店出したの、じつは関空やってん。」
「そうなんや、スゴいやん。」
「でもここの賃料がめちゃ高くてさー、若かったし自信満々でお店出したんやけど、失敗ばっかりでめっちゃしんどかったなぁー。」
懐かしそうに彼女がつぶやいた。
彼女の表情から、その当時の苦労を少しだけ垣間見ることができた気がした。
「さて、ホンマはおみやげ屋さんで試食回りたいねんけど、関空はほとんど試食が無いねん。ケチんぼやわー。」
憎らしげに彼女は言った。
ひと通り回ってトイレを済ませた。
そこからバスでLCCのある第二ターミナルに向かい、搭乗時刻までボクはコーヒーを飲みながら過ごした。
いつもなら熟睡している時間だからと、搭乗時刻ギリギリまで彼女はボクの肩にもたれて眠っていた。
なんだかそういう何気無いことが、ボクにとってはとても幸せで、愛おしさを肩に感じながら搭乗時刻を待っていた。
搭乗時刻になりボク達は飛行機に乗り込む。
やがて定刻になって、飛行機が動き出した。
窓側にいたボクは、離陸するまでの様子を飛行機の翼越しに動画を撮っていた。
彼女はそんなボクを見て、
「生まれたてのおっちゃん、楽しんでるかい?」
と、ニヤニヤしながらボクの肩に頭を乗せて、また眠ってしまった。
沖縄に到着する直前になって、那覇空港に予定通り着陸できないとのアナウンスが流れた。
空港で何かトラブルがあったようで、緊急で嘉手納基地に一旦着陸するとのことらしい。
寝ている彼女を起こして、その旨を伝えた。
「旅行してたらこういうのよくあるん?」
「いや、これは私も初めてやな、まぁ仕方ないんじゃない?」
そう言って彼女はまた眠ってしまった。
レンタカーの予約をしていた時間が過ぎてしまうので、嘉手納基地に着陸してからレンタカー屋さんに連絡を入れた。
レンタカー屋さんも「あら、それは珍しいですね」と言って快く時間をズラしてくれた。
余計なものを撮られたり見られたくないのか、嘉手納基地では窓のシェードを降ろすよう指示が出た。
そこから数時間缶詰め状態で、機内のトイレには行列ができ、退屈で我慢できなくなった子供達が方々で泣きわめき始めた。
「初めての沖縄やけど、いきなりこんなハプニングになっちゃったね。」
とボクが言ったら彼女は、
「ええやん、スゴいやん。なかなか体験でけへんから、これも含めて一緒に楽しもう。」
本当にいつも前向きで素敵な彼女だった。
やがてトラブルは解決したようで、嘉手納基地から再び那覇空港に飛び立った。
乗客はみんな疲れ果てた様子だった。
数時間遅れで那覇空港に着いて、レンタカー屋さんにすぐに連絡した。
空港まで車で迎えにきてくれるそうだ。
その旨を彼女に伝えると、
「まだ行けへんで。」
という・・・
「なんで?」
「私と旅行したら、私のルーティンを覚えてね。」
と言って、片っ端からおみやげ屋さんを回って、置いてある様々な試食品をすべて堪能していた。
ボクはわざわざ迎えに来てくれてるレンタカー屋さんに申し訳ない気持ちで、正直試食どころではなかったが、そういえば彼女はかなりの食いしん坊なのだから仕方ないかと半分諦めた。
そして、やっと試食に満足した彼女を引っ張って、レンタカー屋さんが待っている空港の車寄せに向かった。
レンタカー屋さんはリムジンで迎えに来てくれていた。
「リムジン頼んだん?」
笑いながら彼女はボクに言った。
「いや、なんかサービスでリムジンの送迎が付いててん。」
「へぇー、ちなみに車は何にしたん?」
「初めての沖縄やし、調子に乗ってBMWのオープンカーにしちゃった・・・」
彼女は爆笑しながら、
「生まれたてのおっちゃん、そんなにはしゃがなくても普通の車でええのにー!かわいいなー!」
そう言われると、初めての沖縄旅行ではしゃいでる自分が、ちょっと恥ずかしくなった。
レンタカー屋さんの事務所で手続きを済ませ、ボク達はBMWに乗り込んだ。
走り出したら彼女は、
「オープンカーにして正解やったね!風が気持ちいいわぁー!」
と、ボクに気を遣ったのかオープンカーであることを喜んでくれた。
「沖縄といえばブルーシールとルートビアやで、知ってる?」
途中で立ち寄った店で、何も知らなかったボクにブルーシールのアイスとルートビアを買ってきてくれて、車で飲み食いした。
「はい、これで生まれたてのおっちゃんはブルーシールとルートビアを知ることがができました。」
「ありがとうございます。」
「ジョニーさんが初めてのことを、私が体験させてあげるのホンマに楽しい。こんなに楽しませてくれて、こちらこそありがとう。」
そんなやりとりをしつつ、彼女の友達が待ってるという名護市に向かった。
途中で北谷のアメリカンビレッジや景色の美しい海岸に寄ったが、飛行機の到着時間の遅れのせいであまり時間が無かったので、ゆっくりと通り過ぎただけだった。
それでも沖縄の自然はとても美しく、ボクは初めての沖縄を楽しんだ。
名護市に着いた頃にはもうすっかり夕方近くになってしまっていた。
大阪在住の彼女の友達がお手伝いに来ているという飲食店が目的地だ。
到着すると、そこは飲食店とは思えないような、沖縄らしい平屋の素敵な古民家だった。
入口にシーサーが飾ってあって可愛かった。
彼女は友達との再会と、古民家のロケーションをとても喜びながら、さっそく食事を注文した。
食事が出来上がるまで、古民家の縁側でボク達はくつろいだ。
彼女は縁側がとても気に入ったみたいで、「わー、ここに住みたーい!」と横になりながら連呼していた。
「こういう自然に囲まれて、何にも考えずにボーッとできるって最高やなー。」
注文した食事ができた。
身体に優しい創作カレーだった。
美味しくいただいて、彼女の友達と名残惜しみながらもやがて閉店の時間となり、ボク達はお店を後にした。
再び那覇に戻ったが、周囲はもうすっかり暗くなっていた。
那覇に着いてホテルにチェックインした。
「運転ご苦労様でしたー。」
ボクのことを労ってくれた。
「軽くシャワー浴びたらさ、国際通りに行ってどっかでゴハン食べよっか!」
「え?さっき食べたとこやん?」
「もうお腹ペッコペコやでー!」
ああ、そうか、彼女はよく食べるのだった。
そういうところも、ボクにとってはすっかり愛おしく感じていた。
夜の国際通りに出た。
彼女はまたおみやげ屋さんを回っては、置いてある試食を食べ倒していた。
「そんな食べてたらそのうち、顔覚えられて試食禁止令出されるで。」
と、冗談交じりでボクが言った。
「いや、マジで関空の試食無くなったのは私のせいちゃうかと思ってるねん。」
「『植村愛子が来たぞー!』『試食隠せー!』っ言うてたりしてな。」
ケラケラと笑いながらボク達は国際通りを満喫した。
居酒屋に入ろうといって、国際通りの裏側にある賑やかな飲屋街にきた。
ヤギやヒツジといった獣肉が大好きだった彼女は、『ヤギ汁』の文字がデカデカと書いてあるお店に躊躇なく入った。
店に入るなり、
「ヤーギ汁ちょーだーい!」
と、
初めて入る店なのに常連のように振る舞う姿は、とても彼女らしいなと思った。
お酒もそこそこ進み、周囲の店もそろそろ閉店の準備にかかりだした。
「あ、そうや!沖縄らしいとこまた開いてるかな?」
居酒屋を出て、閉まりかけの商店街をボクたちは歩き回った。
ドラゴンフルーツやサトウキビに割り箸を刺したものを売ってる露店がギリギリ開いてたので、彼女が買ってくれた。
もちろんボクは、ドラゴンフルーツもサトウキビも、口にするのはこの時が初めてだった。
「はい、生まれたてのおっちゃんはドラゴンフルーツとサトウキビを覚えましたー!」
彼女はニコニコしながらボクの方を見てきた。
「いっぱい教えてくれてありがとう。」
そしてボク達はホテルに戻った。
彼女がお風呂に入ってる間に、ボクはオリオンビールを飲んでテレビをみていた。
お風呂から帰ってきた彼女はボクの方をみて、急に冷たい視線を浴びせてきた。
「あれ?ジョニーさんそんなにちっちゃくて、そんなに太ってたっけ?」
お腹いっぱいで、お酒も入って酔っぱらったボクは裸であちこち緩んでしまい、それでもダラダラとオリオンビールを飲んでいる姿に、どうやらショックを受けたらしい。
「酔っぱらったから?縮んだんかな?めっちゃデブやん?」
とても冷たい視線でそうつぶやいた。
「私の好きな人はそんなにお腹出てないハズなんやけどなぁ・・・」
ボクは「ゴメンね」と謝ってお風呂に入ることにした。
お風呂から戻ると彼女は、
「あれ?ジョニーさんおるやん!」
「・・・?」
「さっきな、ちっさい小太りのおっちゃんがこの部屋におってん!気持ち悪かったわー!」
「ちっちゃいデブのおっちゃん気持ち悪いから、ジョニーさん私の側から離れずにずっとおってな。」
そういって抱きついてきた。
「うん、ゴメンね。気をつけるね。」
そういってボク達は布団に入った。
酔っぱらって疲れたボクは、そのまますぐに眠ってしまった。
夜中、彼女がゴソゴソと動いているのでふと目が覚めた。
「どうしたん?」
ボクが尋ねると、
「せっかく初めての二人の旅行やのに、ジョニーさん酔っぱらって先に寝るから、スゴく淋しかった。」
そういって彼女は本当に涙を流していた。
「ホンマにゴメンね、車の運転でちょっと疲れちゃったんかな?先に寝てゴメンなさい。」
ボクは優しく彼女にすり寄った。
「いっぱい運転してくれてありがとう。沖縄楽しい?」
「うん、いっぱい初めての体験させてもらったし楽しかった!ありがとう!」
そういってボク達はキスをした。
翌日、飛行機の時間までレンタカーで海に行った。
沖縄の海はとても澄んでいて、本当に綺麗だった。
若い頃サーフィンをしていたボクは、
「いつかサーフィンしに来たいなー。」と言った。
「うん、沖縄もいいけど、それならいつかハワイに行こう!」
「ジョニーさんが海に入ってる間、私は浜辺でフラを踊りながらワンキチと待ってるわ。」
いつか話してくれた素敵な光景が頭に浮かんだ。
彼女といたら必ず実現しそうな予感が、ボクは何度もしていた。
飛行機の時間が近づき、レンタカーを返して空港に向かった。
「どう?沖縄満喫してくれた?」
「うん、すっごく楽しかった!」
「な? 二十四時間でも満喫できるやろ?」
「ホンマやな!」
こうしてボク達の初めての旅行は終わり、大阪に戻ってきた。
彼女は預けていたワンキチを引き取りに行くと、
「あ、サロンの予約入ったから仕事に行くわー!」
「えっ?今から?大丈夫?無理したらあかんで?」
「うん、いつものことやから大丈夫!ありがとう!大好きだよー!時間ギリギリやから、いってきまーす!」
そういってワンキチを抱え、彼女は足早にサロンに向かって行ってしまった。
そういうタフなところも見習わねばなぁと思ったと同時に、彼女から受ける影響力の強さにボクは驚いていた。
そしてそんな彼女と一緒に過ごすことができて、本当によかったと思った。
それからボク達は、数ヶ月おきに旅行に行った。
長崎、宮崎、名古屋、石垣島、北海道、軽井沢、白浜、天橋立、愛媛、近江八幡、山口、奄美大島・・・
年末年始や記念日を絡めながら、たくさんたくさん旅行に行った。
そして旅の楽しみ方を彼女に教わった。
どこも本当に楽しい思い出でいっぱいだった。