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ひたすら吹き出しみたいに書き散らした記事💭

自分が思っているものとはちがうといえば、考えたらいろんなことが例にあがるんだと思った。そのひとつを考えてみた。今度は、動く歩道のような考えごと🙂

【思ってたものとちがうとき、あるある】

  • 自分が納得いかないままでいる。

  • 固定観念が長年蓄積されている。

  • そのままでいること。

  • 諦めきれない。

これらの他にも、例に出すものによっては複雑に絡まっていく固執があります。そのような複雑化と向き合うときには疲弊もやってくる。疲れさえも擬人化すると、脱力感があります。この脱力も必要なことで、ちからを思いっきり抜く感覚をイメトレしています。なかなかだばっとちからがバケツにたまった水のように抜けきってくれません。チョロチョロと抜けていく感じがします。まるで、漏れてない?と思われそうな擬音を使ってしまいますが、小さめな穴が開き、そこから水が漏れるようすは意外性があります。それは、穴が開いてると思ってないから、なんで出るんだと思ってしまうんです。

脱力を隠しテーマにしようとしていたけど、書き言葉をやめさせようとしているのか、わたしに合うとしたら話し言葉に近いものだと判定があったのか。わたしには、さっぱりわからんピッタリ条件の一致は、時々わたしを暴風で変えようとする。

人間は、底知れぬ多くの謎をインターネットやSNSを気に入ったことによって、自分から見せるようになった。だから、あえて着込むように書くことにしたら、そうじゃない感を出されてもう何年も経っている。

スマホのアクティビティでも書いたらいいのか。昨日は、アルゴリズムを検索から知ってアルゴリズム体操を思い出してYouTubeに見に行き、ポケモンの名勝負の動画に目移りし、アルゴリズム体操を途中で切り換えてしまいました。操作ミスのうちですが。このようなしがない感想を何者かによってコピペでコメントされてしまっては困る。暴くんじゃないよと思ってしまう。アクティビティひとつで、人間は浅瀬でパニックになれそうだから。わたしも取り乱した挙句、倒れる気がする。そういう裏地見る喜びの技術をもつ人のアクティビティをひたすら見れるようにならないのかな🤔技術の発展も神様みたいなちからの使い方に見えてくる。

笑いのアルゴリズムさんは、笑いをこらえきれない神のような魔神のような、道化。神のきまぐれといたずらだらけの文章の好み構成を知るためには時の経過が必要になる。プログラムもシステムも人智を超えているように思える。10年分くらい笑える文章を書いてくださいって言われてる気がした日でした。イヤです、ムリです。書いたことを後悔する文章を考えることもある。でも、それをイヤだと思うなら、あえてそれを考えて書けと望まれてしまうのかもしれない。気が向いたら、後悔を主題に最初から書いてみようかな😀
ポジティブを忘れ、脱力感を超えて。わたしが決めたものもどんがらがっしゃん☆がんばってきたものも無になり、がんばろうとすることも無駄になり、がんばれと応援する方向には後悔の道。だから今日も思い出したシステムに、がんばれと言う。もう少し、もう少しで辿り着くからがんばってくれ!みたいな。いきなり、ギリギリ動く車のクライマックス。
その応援の言葉を自ら浴びる。🙂☂️✨ 

また、アルゴリズム体操の動画を見ることからほん怖までの時間をゆっくり過ごす日にしよう。

2023/08/21 修正
記事のタイトルを見直しました。
画像をキャンバで作成、タイトルを一文字間違えた🥲