私なりのnoteの楽しみ方をしよう
今日の見出し画像は、これまでの背景っぽいところを緑や青系から赤系にチェンジして作成しました😀使用した画像に元からあった強調の点をそのままにして色を変えてたら、🍉スイカを思わせてくれました。端っこがめくれてる演出に心惹かれたのですが、スイカに見えるかどうかは気にしないでいいです🙂
アイスのスイカバー食べたくなるよね。種部分はチョコの味がしたことを思い出します。最近は、かき氷系を食べるので懐かしくなります。
noteに記事を書き、公開すると睡眠中に洗濯機のような思考能力の丸洗いになる。とてもふしぎな効果になっている。しかし、記事を書かない日もある。そういう日は、寝るときに暗雲みたいなものがやってくる気がしてしまう。そうなると、雨宿りをする先を「街」に出て探すような気分を新たに自身に見つけるきっかけになりました。
最近、気に入っているnoteの「街」を歩く感覚の想像。さすがに比喩でどこまでも行けないだろうなと思って、まだ書き始めも歩く目的もゴールも考え直している。
比喩は伝わりにくいものでもあると言われたりします。それは、使用するときの無意味さを併せ持つものだと瞬間的に考えるようにもなりました。一応そういう注意点を知ってしまったらそのことを考えるようになるんだけど、結局は比喩を楽しむ習性もあるので書くときにはとくに重要だと思ってしまいます。言語という意味で「日本語で書いてある」と、伝わったらもうそれだけでいいや(*ˊᵕˋ*)thank you🌻
書く楽しみは、現代で与えられた時間の浪費でもある。読む楽しみは、ひとりの内側に発生する。書く楽しみと読む楽しみが同時に与えられるなら、もうゆ〜とぴあ(´・ω・`)
その領域まで行くには、鍛錬と長い長い道のりを見つけなければね。思い込みと「そうそう、これだよね!これのことだったんだ!」は全然ちがうから、作り出せる水面の風に興味を持ち始めます。足元が水たまりに変わる場所を見つけたとき、そこでジャンプするしかないかな🙂
凹みを見つけたら、雨が降るまで待って、雨宿りしながらその地点を見つめる。「街」の観測地点、凹み。