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自分の無知を自覚するということ

皆様ご無沙汰してます、WILDIES'店長のエミカです!

お店のオープンからバタバタと全然更新しておらず、、
記事はね、いろいろ書いてるんですけど纏まらなくて書き溜めたものだけ増えていく日々です笑

そう、この前宮崎駿監督の映画「君たちはどう生きるか」を観てきました。
数年前に吉野源三郎さんの著書「君たちはどう生きるか」を読んでいたので、そのこともあり一人で映画館へ。


今日はそんな、どう生きるかと無知と悪意のお話です。

映画に関しては、きっと賛否両論あるんだろうなあと思いながら、やわやわと頭の片隅で何を意図して作られたんだろうかと考えていました。

後日知人と話していて、その話題に。
知人もちょうど「悪」について考えていたタイミングで作品を観たらしく、話は「悪意」と「無知」の話へ。(映画と直接的には関係ないけれど)

私も「差別と無知」について考える出来事があったので、無知を自覚することって大事だよねという話に。

無知だから気づかない、差別を差別と認識しない。
でもきっと知ることで、想像することも考えることもできる。
(知らないままの方がいいこともあると思うので、一概には言えないけれど。)


自分の経験や本、人から聞いた話で知っているつもりになっているけれど、まだまだ知らないことはたくさんあって、仕事に関してもそうだし、人についても、自分についても、私にはまだまだ知らないことがたくさんあるのだと、ふとしたときに思い出します。

自分の知る限られた知識だけで判断しようとすると、きっと知らず知らずのうちに誰かに悪意を向けていたり、無意識の差別になっていることもあるかもしれないと思うと、怖いです。

そうならないように日々気を付けているつもりであっても、きっと知らぬうちに自分も加担しているのかもしれないことを改めて認識しました。

以前読んだ
「差別はたいてい悪意のない人がする(著 キム・ジヘ)」
という本の中に、大衆の悪意のない行動が、当人たちにとっては紛れもない差別であること。それは「知らない」ということが根底にある場合もあるのではないかということ。

自分が知らないことを知らない
その話や人に触れて初めて、それが自分にとって「知らないこと」だと気が付くことも多いと思う。
以前記事に狩猟や林業のことをちらっと書きましたが、
まず狩猟ということ自体を知らなかったし、知らないから調べない。調べられない。
そうなると、きっかけがないと知ることができないし、常にアンテナを張っておかないといけないのかもしれません。

そして、差別とまではいかないけれど、好きな作家さんの作品に、女の子が
「BLね、おっけー!私理解あるから大丈夫!」というシーンで、相手の男の子は「そんなの考えたことなかった。ただその人を好きになっただけ」と。
ああそう、そこなんだなあと思いました。

別に悪気があっていったわけでも、差別だと言っているわけでもないけれど、根本的というか始まりが違うんだろうか、、と。

根本に男性は女性を、女性は男性を好きになるのが普通という考え方があって、だから「この人(男性)が好きだ」と告げたときに、男性が男性を好きになることが普通ではないと無意識で判断される。
その考え方がその「普通」からきていることを認識したとしたら、
「この人(男性)が好きだ」と告げられた時、きっと「この人(女性)が好きだ」と告げられた時と同じ反応になるんではないだろうかと、思う。

(余談ですが、そんなとき「パートナー」という表現っていいなあと思っています。性別を限定しないし、別に男女の関係じゃなくてもいい。その言葉にある余白に救われることってないですか?)

悪意がある行動なのかそうではないのかは、大体向けられている当事者は分かるものだと思います。
あの言葉が、あの視線が、悪意があるか否か、明確な傷つけるという意思をもって放たれたものなのかくらいわかる。
でも、悪意なく純粋な言葉に見え隠れする「差別」や「偏見」に思い悩むこともある。意外とそっちの方が心にズシンとくるかもしれない。

(別に気にしない人は知らなくても良いのかもしれないけれど、私は気になる。)

悪意がなければ何をしても良いのか、自分は一切の偏見なく一人ひとりと対峙しているのか、あの時自分に悪意はなかったのか。
考え出せばきりがないし、その定義も揺れ動くものなんだろうなぁ。

自分はこの世の中にたくさんある「悪意」とどう向き合っていくのか、その中でどう生きるのか考え続けなければいけない。

多様性なんて言葉があふれるけれど、多様性という言葉に隠れるマイノリティのマイノリティを取りこぼしてはいけないと思う。
自分はマジョリティなのか、マイノリティなのか。
私は多数派だという無意識の優位から、言葉を投げかけてはいないだろうか。

私もまだまだ無知で、知らぬ間に傷つけてしまう人がいるかもしれないけれど、知る努力を怠ってはいけない。
いつまでも謙虚さを忘れずにいたいものです。

そしてそれを指摘してくれる、教えてくれる人も
知ろうとする姿勢と同じくらいの大切で、ありがたいことだなぁと思います。


知ること。
学ぶこと。

それはきっといろんなところで優しさに変わって、あなたが気付かぬうちに誰かを救っているかもしれません。そしてそれは自分を豊かにしてくれるものでもあるんだと思います。
だから私は自分と違う人の意見や思いを聞きたいと思うし、今に至る経緯も知りたいと思うから、話をするのも聞くのも好きなんだと思いました。


私が、目指す私になるために今できることを少しずつ。

エミカ

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