美魔女化するTOKYO〜港区のタワマンに住んでみて分かったこと
スッピンの「東京」とメイクした「TOKYO」
港区にあるタワーマンションの高層階に住み始めた頃、夜が深まるたびにベランダに出ては、街々の光景を見渡しながらうっとりとした気分になっていたのが懐かしい。しかし1年半も経つと、もうそんなことは特別意識さえしなくなってしまった。
窓の外に広がっているのは、いつもと同じ場所からいつもと同じ輝きを放つ東京タワーやスカイツリーやレインボーブリッジであり、動きがあるのは首都高を流れるミニカーの群れ、線路を進む蛇のような新幹線、星を望めない夜空に時々過ぎ去っていく飛行機くらい。運河に架かった橋を歩く蟻のように見える人々がどんな服を着ているのか、雨がどれくらい降っているのか、ここからは何も感じない。
こんな日々を重ねていると、東京がまるで巨大なWebサイトのように見えてくる。
丸の内や汐留のオフィスビルにはビジネスやマーケティング情報、渋谷や銀座の商業施設にはファッションやカルチャー、豊洲や勝どきのマンションには消費トレンド、六本木のレジデンスやラグジュアリーホテルには男女関係に関するコンテンツが詰まっているわけだ。
実際に街へ出ても、それらをクリックして中へ入っていく感覚はすでになく、スマホの画面をタップしてSNSの投稿を次々とフリックしているような、上滑りしていく浮遊感だけが強く残る。
現在、東京には100m以上の高層ビルが約500棟も建ち並んでいるという(住居用の場合は30階建てで100m程度)。そのうち都心5区と呼ばれる千代田区、中央区、港区、新宿区、渋谷区に約65%が集中している。
背の高い建築物が紡ぎ出す風景こそ東京最大の特徴と言えるが、何か異様なパワーが渦巻いているような世界観を漂わせる都心は、さながらパラレルワールド(同時並行世界)のようだ。
仮想現実でも非現実空間でもない。東京に住んでいる者なら誰でも肌感覚で知っている。東京には二つの表情があることを。
日常生活の場としての「東京」と、出入り自由なパラワルワールドとしての「TOKYO」。それは女の子の入浴後や就寝前のスッピン顔と、女子会やパーティへ繰り出す時のメイク顔の違いにとてもよく似ている。
ゼロ年代以降、美魔女化し続ける「TOKYO」
こうした圧倒的な風景としての「TOKYO」は、実はゼロ年代以降(2000〜)に形成された。
前出の500棟のうち約70%はここ15年間で大資本によって竣工されたもので、その動きは世紀末が明けてインターネットが社会へ浸透していく流れと見事に一致する。
さらに共働きが当たり前になった時代は、帰る場所を郊外から都心へと変化させた。結果、受け皿としてのタワーマンション需要が高まった。
街作りはどうだろう? あの狂乱のバブル期の頃でさえカップルや夜遊び向けのスポット開発で留まっていたのに対し、近年は女性客重視のコンサルに惑わされるあまり、どの街も画一化された“箱作り”に躍起になっている。そのくせ郊外と何ら代わり映えのないテナントのほとんどは、ネットショッピングで簡単に間に合ってしまう。
法と金、都市銀行や大企業が主導する人工的なバベルの塔と、申し訳程度の緑地がついたショッピングモール的空間の量産は、ただでさえ防犯監視カメラが大量に設置された街から、新しい世代や若いスピリット、色気と体臭で繋がったポップカルチャーを奪っていく。
東京らしさとは、そもそも街々の個性の集合体ではないのか。老朽化したインフラの改修と高層ビルでメイクして若返ろうとする「TOKYO」は、美魔女の原理そのものだ。
人の多さも半端じゃない。東京には約1360万、23区だけで935万もの人々で溢れ返っている。
昼間人口になるとそれ以上に膨張する。生きていく場として東京はとっくにパンクしていること(保育園や介護不足、交通渋滞や通勤ラッシュなど)に今更驚く人はいないと思うが、一昔前と違うのは避けて通れない茨の道(少子化と超高齢化、格差と貧困など)に足を踏み入れたという現実だ。
それでも人は35年ローンを保ちながら、あるいは莫大な相続税に悩みながら、小さな「TOKYO」に執着する。
団塊世代の夫婦は利便性を求めて引退後に「TOKYO」に移り住む。地方の若者たちはいまだに恋愛ドラマでタグづけされるような「TOKYO」を目指してやって来る。外国人ツーリストたちはアーカイヴされたCOOL JAPANな「TOKYO」を、時間通りに運行する地下鉄や観光バスで巡って帰っていく。
常にどこかから工事の騒音が聞こえる“現在新光景”が構築される中、デジタル・ネイティヴの子供たちはゲームとスマホをやりすぎてしまったせいで、もはや何がリアルで否か、「東京」と「TOKYO」の区別さえついていない。
未来を担う少年少女たちの心には“風景のロスト感覚”は宿るのか?
人口だけでなく、政治や経済、情報や機会が一極集中した東京は、日本のGDPの1/5を占めるまでに至った。これは世界の大都市間競争の中でも断トツトップの経済力を誇る。だが一方で、もし東京が成長を止めれば、その時は日本の弱体化が進行し始めるというリスクも間違いなくはらんでいる。
それにしても生活動線上に巧みに仕掛けられた“消費させるため”の銀河系のような広告群を、イルカのように器用に泳ぎ抜けていくのは「TOKYO」では至難の技だ。
いつまでキラキラ女子のままでパーティを?
パラレルワールドの「TOKYO」が最も眩い光を放つ瞬間、それは紛れもなく夜の喧騒だ。
この世界に頻繁に出入りする人々の愉しみ方に、取り立てて時代の変化による影響は見当たらない。ただ二つの違和感を除いては。
一つは、夜遊びの既得権が80〜90年代の情報感度から、00〜10年代で徐々に金そのものにシフトしてしまったこと。
これは2000年前後のITバブルの功罪だ。極端に言えば、以前はレアな情報というパスさえ手に入れれば、メガパーティは誰でも気軽に歓迎される盛り上がりを見せていたが、今は金が尽きて途中退散しないような者だけが密室に集まってあの頃のパーティを二次創作している。そんな臭いを感じる。
もう一つは、奇妙に子供じみた大人が増えたこと。時々こんなことを想う。
父親は今の自分の年齢と同じくらいの時、もっと大人ではなかったか?
戦争を知っている今の70代後半以上の世代が20歳だった時、年を取るということにはもっと重みがなかったか?
1969年の30歳は学生たちから“あちら側の大人”として扱われる羽目になったのに、どうして2010年代の30歳や40歳はまだ“こちら側の若者や女子”でいられるのか?
そうしたパラレルワールドのマジョリティたちが醸し出す何かキラキラしたもの、何かギラギラしたものが絡み合い、それは“盛られた出来事”や“加工された画像”を通じてシェアされ、やがて人々の言動や空気となって夜の街に漂っていく。
ビッグチャンスを伺いながらいつか実現するはずのリッチ暮らしを夢見ることも、モテのための外見磨きに自己投資することも、芝居がかったパフォーマンスを繰り返しながらフォトジェニックなイベントで自撮り行為に勤しむことも、オシャレなレストランで食事しながら曖昧な恋愛ゲームに浸ることも、「TOKYO」ではすべてが許される。
そして夜からダンディズムと流れ者の美学が消え去った。
こんなパラレルワールドに入り込んでから30年以上が経つ。時代の流れの中で、青春が人生へ、世代が個人へと変わることも経験した。
タワーマンションの高層階に住んでいると、たまに自分が“自由のない旅人”であり“自由のある囚人”のように思えてくる。これからはきっと「TOKYO」は個々の“強い心”だけが頼りになってくる……
時刻は午前2時20分。窓の外にはまだ無数の光が見える。もう眠る時間だ。
(終わり)
*Photo : 中野充浩
*このエッセイはWebマガジン「TOKYOWISE」で発表したものに一部加筆しました。
この記事を楽しんでいただけましたか?
もしよろしければ、下記よりご支援(投げ銭)お願いします!
あなたのサポートが新しい執筆につながります。