少しずつ光が見えはじめ
試練の期間に入り、それまで更新していたblogも書けなくなりパソコンもSNSも開きたくなくなって遠ざかっていました。
そんな時やっていたのは不要なものの処分やノートに書き出すという作業
おもしろいことに不要なものを処分すると少し光が見えてくるので、書き出し作業をしていると新たな発見があったり、メッセージを受け取れるようになってくるんですよね。
海外へ行き来していた頃に買いためていたものがたくさんあって、物持ちがいいのもあったし、収まる収納があったというのもあって靴がたくさんあったんですよ。
履けるし、好きなデザインや色、素材というのもあって処分するという考えがなかったのですが、あるときふと気になるようになって30足くらいあったかな?を処分したのです。
同時に玄関もお塩で浄化してとそんなことをした頃から少しずつ抜ける兆しが見えてきて、それまでにいろいろと書き出したノートたちも雨で濡れるということがあり、処分したんですよ。
その頃からパソコンも立ち上げられるようになり、SNSも再開したものの離れている間にYouTubeとかも普及しはじめていろんな情報が入ってくるようになると
何だか知らない間にネットの世界がすごいことになってて、取り残された感覚でした。
それほど詳しくないものの、必要なものはこなしていたはずが…
そこでスイッチが入りはじめ、それまでやっていなかったことに手をつけはじめたのでした。
noteを開設し、WebサイトもWordPressにして、オンラインサロンに入ったり、ネットの世界を通しての交流も再びはじめました。
SNSがスタートした頃って、リアルなつながりもあったけど↑こっちの世界はオンラインのみというのが主流だったから抵抗があったと思うんですよ。
ある程度集中してやったらあっという間にこなせちゃって、オンライン化ししばらく続けたものの違和感を感じるようになってきて、やっぱり私は自分のいいと思うやり方、しっくりくるものじゃないとダメだと、リアルなコミュニケーションを大切にしたいなぁと思うようになったのです。
もちろん、オンラインはオンラインでいいところもあるので、必要と思うものは取り入れるけどね。
そして、オリジナルで作り上げた講座をどうしたら多くの人に伝えられるか?ということも考えるようになって、それまでには接することのなかった世代の方たちと話をする機会に恵まれるようになりいろいろとヒントを得ることができたのです。
学校や講座というカタチではなく、自然の中でキャンプとかアウトドアなどの遊びの中から気づきを得られる機会を多く与えたいと思うようになってきたんですよ。
そんな自由な発想の中から出てきたのが『魂の教習所』
ようやくしっくりくる表現
学校や講座というと知識を教えるという感覚なのですが、私が提供しているものって自分を整えること、自分を知ること、自分と向き合うためのやり方、方法を体感を通して身につけてもらうという実践型だから魂に光を当てて、輝かせるための教習所という表現がしっくりきてね。
ここまでたどり着いたところで↓ここへとつながったのです。
ふぅ、かなり端折ってますがざっくりとこのような流れで今回の空間作りへとつながっているのです。
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