【プロ野球 名場面第20回】忌々しい日本シリーズ(1989年)
この年セ・リーグは巨人が2位広島に11ゲーム差をつけて圧勝し、パ・リーグは前記事【プロ野球 名場面第18回】西武の5連覇を粉砕したブライアント(1989年)で書いた通り(https://note.com/wildcard_koto/n/nc717636d800d 参照)近鉄が制し、日本シリーズで激突した。戦前は巨人が有利との見方が強かったが、巨人は斎藤、近鉄は阿波野と大エースの先発で開幕すると、あれよあれよと近鉄が3連勝し、大手をかけた。
この第3戦の近鉄の先発は加藤哲郎で、ペナントレースでは7勝をマークするなどキャリアハイの成績を残していた(プロ通算17勝)。阿波野秀幸、小野和義、山崎慎太郎に次ぐ第4の先発投手だったが、小野が故障あがりだったこともあり、先に仰木監督が第3戦の先発を加藤に託したのだった。加藤は6回3分の1を1失点と好投し、チームを勝利に導き、ヒーローインタビューに臨んだのだ。
「別に、とりあえずフォアボールだけ出さなかったらね、まぁ、打たれそうな気ぃしなかったんで。ええ、たいしたことなかったですね。シーズンの方がよっぽどしんどかったですからね、相手も強いし」と発言。メディアは、「巨人はロッテより弱い」と加藤が発言したと見出しで報じた。加藤自身は、試合後のダッグアウトで報知新聞の近鉄担当記者から「(巨人は)ロッテより弱いんちゃうの?」と振られ、「あれだけええピッチャーおったら(リーグ)優勝するで。でも打線はアカンなぁ」と答えたと主張しており、それがすり替えられたと後に述懐している。筆者自身は、この話を最初に聞いたとき、やっぱりメディアの切り取りだったかと腹立たしい気になったが、その後の加藤哲郎という男の人物像に迫るにつれ、元来人を食ったようなところがあり、こういう見出しを書かれても仕方ないのではないかと感じている。加藤と同い年の阿波野秀幸は、「(ロッテより弱いと発言したとされたことについて)そういうような(ニュアンスの)ことは言ってますよ。あまりにも調子に乗ったことを言ってるんで、だんだん『相手もあることだし、その辺にしとけ』という気持ちになったのを覚えていると語っている。加藤以外にも当時の若い選手が多かった近鉄の選手の間では、「巨人打線は迫力がないですね」とか「パ・リーグの公式戦の方が大変だった」などとコメントしていたとされ、油断、慢心があったのではないだろうか。
第4戦は香田が完封し、1勝して迎えた第5戦のハイライトは原の満塁本塁打だ。このシリーズ18打席無安打と完全にブレーキになっていた原。2-1と巨人リードで迎えた7回裏、近鉄ベンチは、この試合でクロマティを敬遠し、原で勝負という選択をする。これが完全に裏目を出て原は満塁本塁打を放ってしまうのだ。これには、筆者も子供心に嫌な気配がした。巨人が勢いづき、なおかつ世間が巨人の逆転優勝を期待しているような雰囲気になっていたのだ。筆者は生まれながらのアンチ巨人であり、このシリーズも巨人ファンの友人に「巨人って弱いなー、ださいなー」と強気な発言をしており、これ本当に逆転されたらシャレにならんなと思っていた記憶が蘇る。第6戦は巨人が接戦をモノにし、ついに3勝3敗と追いつき第7戦を迎える。近鉄の先発はあの問題発言をした加藤哲郎だ。2回巨人は駒田が加藤から先制のソロホームランを放ち、加藤に向かって「バーカ」と発言した映像が残っている。この1点で勢いがついた巨人はまたもや原が本塁打、またこの年で引退を決めていた中畑にまで本塁打が飛び出し、勝利。史上稀に見る大逆転でシリーズを制したのだった。2019年の日本シリーズまで3連敗4連勝は生まれていない。
このシリーズは加藤の発言をメディアが報じ、それが巨人の選手を奮起させ、シリーズの流れが変わってしまったとよく言われるが、近鉄球団は、球団50周年記念誌『感動の軌跡』で、加藤がロッテとの比較への言及については否定しているとし、「一選手の発言がシリーズを左右すると判断してはおかしい。(中略)それで勝負が決まるほど単純なものではないだろう」という見解を示している。筆者は、総合力としては巨人が一枚上だったこと、近鉄若手選手陣にやや慢心があったこと、巨人の逆転を期待する世間の雰囲気が注目されることに慣れていない近鉄選手陣を後半委縮させてしまったことがこのような結果をもたらしたのではないかと考えている。また、このような「舌禍事件」もプロ野球がエンターテインメントという側面を持っている以上、プロ野球の楽しみ方の一つだと感じている。
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