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【プロ野球 名場面第15回】野球界にとっても節目の1988年 (1988年)

1988年は結果として、昭和最後の年となった。この年に引退した選手は錚々たる顔ぶれだ。如何にも昭和の野球人たる彼らの功績を取り上げていこう。

■ 山田久志(投手:阪急ブレーブス)
能代高、富士製鉄釜石を経て1968年に阪急に入団。サブマリン投法と呼ばれた美しいアンダースローから魔球シンカーをウイニングショットに実にプロ通算284勝を挙げた。当時強かった阪急の中で今井雄太郎や佐藤義則といった好投手陣の中でも大黒柱として12年連続改革投手を務めた。1976年から最優秀選手にも3年連続で輝いている。これはイチローと山田しか達成していない快挙だ。
若いときは、速球さえあれば大丈夫と変化球の習得にもあまり意欲的でなかったが、日本シリーズに王にサヨナラ本塁打を打たれた際、相当なショックを受け、ピッチングへの向き合い方を変えた。また、自身の速球が今一歩走らなくなってきたこともあり、後に魔球と呼ばれるシンカーの習得に執念を燃やした。1970年代後半からは山田の全盛期で、12年連続開幕投手という離れ業を成し遂げている。当時の上田監督との相当な信頼関係の深さが窺える。門田や落合と当時のパ・リーグの強打者たちと名勝負を繰り広げたが、打たれようがシンカーでの打ち取りを試みたあたり、山田のプロとしての矜持が現れている。
【主な業績】
通算:284勝166敗 防御率3.18
タイトル:最多勝3回、最優秀防御率2回、最高勝率4回
表彰:MVP3回、ベストナイン5回、Gグラブ賞5回

■東尾修(投手:西武ライオンズ)
簑島高から1968年ドラフト1位で西武ライオンズの前身にあたる西鉄ライオンズに入団。「黒い霧事件」で先輩達が球界を去らざるを得なくなった中、西鉄が経営権を手放した後の太平洋やクラウンライター時代の弱小時代に若手ながらチームを支えた。プロ入りしてまもなく自分の速球がプロレベルでは通用しないと悟ると、スライダー、シュートを駆使した左右の揺さぶりで打者を打ち取るスタイルを確立。そのため、死球は多く、たとえ打者にぶつけてしまったとしても平然としている様は「ケンカ投法」と呼ばれた。象徴的なエピソードは、近鉄の主砲デービスに当ててしまい、デービスが激怒し、東尾に数発パンチをお見舞いしたが、東尾はその後もマウンドに立ち続け、完投勝利を挙げている。

https://www.youtube.com/watch?v=4QOw0DV-5UA

本人も、本音では、本格派投手として速球を軸としたピッチングをしたかったが、プロとして生きるために仕方なかったと述懐。彼のピッチングスタイルを見ていると、ピッチャーは球が速いだけではダメだということが分かる。後輩の渡辺久信(現西武GM)や教え子にあたる松坂大輔(現西武投手)は典型的な力投派として若くから活躍したが、東尾のピッチングを参考に少しずつでもモデルチェンジしていればもう少し多くの勝ち星を挙げ、長くトップレベルの選手としてパフォームできたのではないかと悔やまれる。
【主な業績】
通算:251勝247敗 防御率3.50
タイトル:最多勝2回、最優秀防御率1回、最多奪三振1回
表彰:MVP2回、ベストナイン2回、Gグラブ賞5回

■福本豊(外野手:阪急ブレーブス)
大鉄高、松下電器を経て、1968年ドラフト7位で入団。前述の山田久志とは同期入団の間柄。入団当初は球団からかけられる期待は大きくなったものの、2年目にレギュラーを奪取すると、75盗塁をマークして盗塁王を獲得。以後、13年連続で盗塁王を獲得するという快挙を成し遂げる。その中でも入団4年目の1972年は106盗塁を記録する韋駄天ぶりであった。MLB記録をも超える939盗塁を記録し、世界新記録を樹立すると、当時の中曽根首相が国民栄誉賞を打診されたものの、これを固辞。「もらったら、タッションもできなくなる」と語ったとされるエピソードが残っている。
走塁が注目されることの多い福本だが、それだけ盗塁数が多いということは出塁そのものが多いという証左でもあり、通算2543安打は、日本歴代5位(MLBを経験したイチロー、松井秀喜、松井稼頭男らの日米通算を含めた場合では8位)に当たる素晴らしい記録である。通算最多安打も4回にわたり獲得しており、これはイチローに次ぐ記録。守備も俊足を生かした広い守備範囲を誇り、実に12度のゴールデングラブ賞を獲得した。オールドファンの間では、史上のベストナインにも選ばれることもある名外野手。
【主な業績】
通算:打率.291、208本塁打、2543安打
タイトル:盗塁王13回、最多安打4回
表彰:MVP1回、ベストナイン10回、ダイアモンドグラブ賞12回

■1988年生まれのヒーローたち
上記のような個性の強い選手達が数多くいた昭和の時代。最近は、よく昭和の選手に比べて、「個性がない」と言われる。確かにその時代は言うことを聞かない、「一言居士」が多かったのは事実だが、大人たちのいつもの口癖ではないだろうか。この1988年には、後に黄金世代ともいわれる素晴らしい選手達がこの世に生を受けている。田中将大(ニューヨークヤンキース)、前田健太(ミネソタ)、秋山翔吾(シンシナティ)といったMLB勢に、坂本勇人(巨人)、柳田悠岐(ソフトバンク)ら、他にも多くの名選手が揃っている。脂が乗り切った彼らがもうひと頑張りし、上述の「おじさん」達もかなわないと認めるような選手へと更なる成長を遂げて欲しい。

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