暗さを貪る悪魔のプレイリスト
昨年、知り合ったばかりの某ラジオ局勤務の女性に「どんな音楽が好きなんですか?」と尋ねたときに、
「暗闇で独り膝を抱えて聴くような曲が好きです」
と言う言葉が明るい笑顔とともに帰ってきた。一瞬で友達になれると思った。この夜は、お互いが好きな暗めのブリティッシュロック談義を軽く交わすに止まったが。
しかし、よくよく考えてみると何故わざわざ気持ちを沈ませ、あやゆる負の感情を奥底から混ぜ返すような曲を好むのだろう?
人間には喜怒哀楽がある。その中で「怒」と「哀」は避けるべき感情だと幼い頃から教え込まれてきた。怒りは戒めの対象になり、哀しみは克服しろと激励されながら。
「いつも笑顔で」「怒らず優しく」「人生を楽しみなさい」
正しい。正し過ぎて泣けるほど。正しすぎて怒りを覚えるほど。
わかりやすい闇、誰もが納得する傷
例えば、過酷な環境、貧困、虐待、トラウマ、いじめ、心身の病、さらには戦争や政治的抑圧、、、何であれ、自己責任など入り込む余地もない圧倒的な不幸を誰もが背負っているわけではない。
人並外れた繊細さなど持ち合わせていないし、癒えない深い傷跡が心で疼いているわけでもない。
それは、とても幸運なことだ。感謝すべき幸せだ。
しかし、そんな人間だって生きていれば、説明のつかない悲しさ、寂しさ、虚しさに襲われることはある。濃霧のように重く湿った感情に包囲され、前も後ろも見えなくなった時、もう、そこに蹲み込んで膝を抱えるしか手立てがないのだ。
なぜなら、その感情を撒き散らしたところで「贅沢な悩み」だと片付けられてしまうから。
シアワセ者の贅沢な悩みには居場所がない
何不自由なく、家族や友人にも恵まれ、生きづらさも感じていなければ、暗い過去もない。そんなシアワセ者が感じる負の感情になど誰も見向きもしない。救いの手も差し出されない。
だからと言って「愚痴をこぼしても、泣いても意味がない」と健気に耐えているわけではない。意地でもプライドでもない。ましてや、”わかってくれない”と誰かを責めたいわけでもない。
すべては自分の心が拒否しているのだ。
同情、共感、慰め、励まし、忠告を。
そのどれもが無用の長物だから。
そんな時に「大丈夫さ」「さあ、前を向いて」「明日はきっと」とか、優しく明るい善意の歌を耳にすると、怒りにも似た絶望感でイヤホンを投げつけたくなる。そこに「みんな一緒に」「ひとりじゃないよ」的な帰属ワードが加わると最悪だ。
とことん毒を持って毒を制すに限る。
所詮、何の解決策もない一時の陰鬱さなど取るに足らないものなのだ。
人それぞれだろうが、私の場合は「何でこんなことをやっているんだろう?」と言う虚無感が迷いとなり、その迷宮に地図も羅針盤もないことを百も承知で、前に進め、前に進めと自分を鼓舞する時に、ふっとホワイトアウトするように前後不覚になる。
そんな時は応援歌よりも、より深い闇へ引き摺り込むような心根の暗い美しい曲に身を委ねるに限る。
部屋の隅で膝を抱えるのも良いが、人工的でケバケバしい光が暴力的に輝く都会の夜、見ず知らずの人々が足早に通り抜ける喧騒の中、ポツンと独り取り残されたようにイヤホンに意識を集中する。
5〜6曲聴き終わる頃には、マイナスの掛け算がプラスになるように霧が晴れてくる。センチメンタルに浸ってる自分が滑稽に見え、バカバカしくなり笑えてくる。
居場所のない"贅沢な悩み"には、適切な居場所を与えてやり、BGMまで用意して、とことんもてなしてやればいいのだ。
ここ数日のモヤモヤ・ざわざわした気持ちに効いた処方箋は以下の通り。
1:How to disappear completely
(radiohead)
↓
2:Paper Flower
(米津玄師)
↓
3:Wild is the wind
(David Bowie)
↓
4:Epitaph
(King Crimson)
↓
5:マーラー交響曲5番
アダージェット
これを書きながら、なお「何でこんなことやってんだろう?」と思いつつ、とりあえず笑いながらアップしておこう。
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