米津玄師 MVで一変したPaleBlueの景色
米津玄師の新曲「PaleBlue」は3つのステップを踏み、6月4日22時55分に、ついにその全貌を現した。
STEP1
ドラマ主題歌としての「PaleBlue」
ドラマ「リコカツ」がそのラブコメっぷりを存分に発揮後、ラストの泣きのシーンで流れる「ずっと、、ずっと、、」は、脚本、演出、演技のすべてに高級な下駄を履かせる威力を持つ。
2019年「ノーサイドゲーム」の主題歌"馬と鹿"について、主演の大泉洋との対談で「テーマ曲をつくるときに心掛けているのは、作品に寄りすぎないようにしている。」と語っていた米津だが、"PaleBlue"は驚くほどベッタリと作品に寄り添っている。
主人公が離婚届を提出した回で初めてオンエアされたフル尺は、もはやミュージカルなのでは?と思うほど、ストーリーや主人公の心情を代弁していた。
この時点での”PaleBlue”はドラマ主題歌としての役割をきっちりと果たし、米津ファンのみならず、プライムタイムのお茶の間に集う視聴者とTBSを唸らせたことだろう。
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STEP2
シングルA面としての「Pale Blue」
5月31日先行配信された”音源のみのPaleBlue”は、瞬く間にデイリーランキング33冠を獲得し圧巻の強さを見せつけた。
詳細は下記の記事をご参照いただきたい。↓
STEP3
MVを伴っての「PaleBlue」
そして、満を侍してのMV公開である。それはSTEP2までの”PaleBlue”の印象を軽やかに覆す意外性に満ちた作品だった。
”PaleBlue”の主要モチーフは「雨」や「水」だと思っていた。それはアー写にも色濃く反映されている。
しかし、MVにはひと雫の雨も降っていないどころか、澄み渡る初夏にカラッとした風が吹き抜けている。かつて米津のMVでここまでクリアに抜けた映像があっただろうか?
まず、白壁の玄関だけが映る無音の4秒間で少々混乱した。この明るさはなんだ?
海辺のリゾートのような陽光をかき分けながら、ゆっくりとズームするカメラが「ずっと、ずっと、、、」の声の主に迫っていく。
花束を持った米津玄師が現れ静かに佇む。ペールブルーのスーツと純白のロンT。透けるような肌。ネープとサイドに施された暖色系ハイトーンのインナーカラー。この絶妙な配色と構図はフレームに収められた一枚の絵画のようだ。
しなやかに身体をくねらせ歌う様は艶かしい色気を発散しているが、性的な男の匂いが全く感じられない。かと言って女性に見えるわけでもないし、中性的とも違う。
そして、共演の菅原小春もまたジェンダーを超越した魅力を放っている。
果たしてこの2人は”お互いを思いながらも別れゆく恋人同士”という単純な役回りなのだろうか?おそらくストーリー上の設定はそうなのだろう。
しかし、私には死を悼む心象風景のように映った。それは"Lemon"のような肉体的な死へのレクイエムではなく、自分の心の中から逝ってしまった人に捧げる祈りだ。
菅原小春は去りゆく者の象徴。まだまだ悲しげで心残りはあるものの、その表情はすでに苦しみから解放された死者のように静かだ。
米津はひとり取り残される者の痛みそのもの。MVに描かれる激情と苦悶は、あれほどドラマチックな音源からでさえ想像できなかった。
必死に追いかけようとして力尽きる心。
耐えがたい痛みから逃れるように眠る姿。
叫びながら膝から崩れ落ちる横顔。
そのどれもが残酷なまでに美しいが、残された者の慟哭は逝ってしまった者には届かない。
また、米津自身のストーリーを知る人は、これらのシーンに米津玄師という生身の人間の孤独や葛藤を重ねて見てしまうかもしれない。
彼が水を運ぶ先にある幾つものガラスの器。そのひとつに萎れたエーデルワイスが挿してある。花言葉は大切な思い出。その花は息を吹き返すことはないのだろう。(中央右側のワイングラス)
では、大きな白い布の動きで可視化された風の中で歌うシーンは何を意味しているのだろうか?
以前、米津はこう語っていたことがある。
ほんとに美しいものって、そのほかに醜いものがあるから成り立つわけじゃないですか? その距離が近ければ近いほどそれが如実に表れると思ってて。だから、すごい映像的になるんですけど、汚泥の中に咲く花、そういうものが好きなんですよね。(M-ONインタビューより)
つまり、相反するものが近くにあればあるほど主題が際立つということだ。とすると、この抜けるような明るさや心地よさや爽やかさとの対比によって際立つのは”壮絶な悲しみ”ではないだろうか?
米津がずっと手にしていた花束はプロポーズやプレゼントではなく、我が身の中にある墓標に供える献花なのかもしれない。諦めきれずずっと持っていた花束はラストシーンではなくなっている。
失って初めて気づくこと
数多の歌や文学やドラマで散々使い古されたテーマ「大切なものは失ってあるいは、失いかけて初めて気づく」。しかし、それは今までもこの先も人々が繰り返すであろう普遍的な過ちのひとつだ。誰の心にも多くの墓標があることだろう。
ラブソングと言うフォーマットではあるものの、米津玄師と菅原小春、そして山田智和監督の卓越した表現力から受け取ったものは、
「大切なものって恋だけじゃないからね」だった。
大切な何かを失うことは、場合によっては「死」にも似た苦しみを伴うことを肝に銘じておきたい。
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