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藤井風「満ちてゆく」MVに秘められたもうひとつの物語

*この記事中の画像はすべて上記MVの抜粋です

3月15日にリリースされた藤井風の「満ちてゆく」。
そのMVは何度も観るうちに思いも寄らない物語を紡ぐ余白に満ちていた。

映像ギミックに隠されたもうひとつの物語

This is the final chapter of my life.
主人公の老人が書いたこの言葉の通り、初見では「1人の男の生涯とその母との回顧録」に見えた。

おそらく多くの人がこんな物語だと思ったのではないだろうか?

子供の頃、母と死別した少年が成長してビジネスマンになるも挫折。失意の中、母との記憶を辿るうちにピアニストになりたかったかつての自分を思い出し、母の墓前で再スタートを誓い夢に向かって走り出す。彼の心にはいつも母の姿があった。

晩年、レストランでピアノを弾き、グループセラピーに参加する孤独な彼を母は変わらず見守っていた。死を目前にして自身の生涯を振り返り自伝を書き残す。そして力尽きた彼を母が迎えにやってくる。

山田智和監督らしいシネマティックな映像美と俳優顔負けの藤井風の演技に目を奪われ初見では気づかなかったのだが、このMVでは4種類のアスペクト比(=映像の縦横比率)がシーンによって使い分けられている。

昔のテレビなどで使われていた4:3。3:2は35mmフィルムのサイズで、16:9は最近のテレビなどでよく見る「ワイド」。そしてシネマサイズとかスーパーワイドサイズなどと呼ばれている21:9。

これを踏まえて、まずはニュートラルにシーン順で追ってみよう。

【1】 3:2

余命を悟った老人が「私の人生の最終章」として手記を書き始める。
走馬灯のように廻る数々の思い出。

【2】 21:9

今より少し若い頃、グループセラピー(集団精神療法)で自嘲気味に自身のについて語る。電車越しに向かいのホームに佇む女性の姿がフラッシュバックする。

誰もいなくなったセラピー会場に現れる赤いマフラーの女性

【3】 21:9

男はレストランのピアノ弾きセラピー会場にもいた女性が演奏中の彼を見つめている。彼が顔をあげるともう彼女の姿はない。

【4】 3:2

自宅か介護施設の一室で手記を綴る彼の足元から水が満ちてくる。浮き上がったベッドに乗ったまま大海原を漂う。

【5】 4:3

水中に伸ばされる子供の手のカットがインサートする。

【6】 16:9

さらに若い頃はビジネスマンだった彼。初出勤なのだろうか?NYの街を小躍りしながら歩く。

成功を夢見て意気揚々と働くも現実は厳しい。上司からのダメ出し、成果のでない営業。自信も希望も萎んでゆく。ついにはクビを宣告される始末。

ヤケ酒を煽りしたたかに酔っぱらった挙句に酒場の客と大喧嘩。二日酔いの頭を抱えてオフィスを片付け会社を去る。

地下鉄に揺られ途方に暮れる彼が見た女性の幻

【7】 4:3

2人の手が水中で静かに離れていく。

【8】 16:9

隣の車両で見た女性を追って辿り着いたピアノ店。

【9】 4:3

子供の頃、母とともに訪れた店で楽しく試し弾きをした日の記憶が蘇る。

【10】 4:3

穏やかな表情のまま水に沈んでいく、伸ばされた手と手が離れていく。

【11】 16:9

失意の彼が奏でているのはあの日のが弾いてくれた曲かもしれない。

【12】 4:3

誰かを探すように走る少年

【13】 16:9

ビジネススーツの彼も同じ場所を走り、やってきたのは小さな教会。祭壇に向かってフラつきながら歩く。

【14】 16:9

晴渡った空の下、カジュアルなスーツに身を包んだサングラスの男が墓地を訪れる。

【15】 3:2

ピアノ店に向かい必死に車椅子を漕ぐ老人。だがその店はアートギャラリーに変わっていた。

【16】 4:3

入店するあの日の親子。確かに母と訪れたピアノ店のはずなのに…

【17】 3:2

それでも彼はアートギャラリーに入っていく。

【18】 16:9

教会の男は祭壇に向かい身廊を歩く。その視線は何かを捉えている。

【17】 3:2

アートギャラリーで何かを見つけ近づいていく老人

【18】 16:9

教会でじっと考え込む若き日の彼

【19】 3:2

涙ぐみながらそっと顔をあげる老人

【20】 16:9

何かを決意したように祭壇から立ち上がろうとする男

【21】 3:2

ギャラリーに展示されている肖像画

【22】 16:9

教会の男は「よしっ!」とばかりに瞳を輝かせている。

【23】 3:2

書きかけのペンを手にしたまま机に突っ伏す老人

【24】 16:9

墓地ではサングラスの男が優しい風に吹かれ微笑んでいる。

【25】 16:9

祭壇を何度も振り返りながら晴れやかな表情で教会を飛び出していく男

【26】 3:2

眠るように事切れる老人。そこにそっとブランケットをかけにくる女性

暗転

【26】 3:2

誰もいなくなった部屋を背景にキャスト&スタッフクレジット。

【27】 16:9

墓地にはサングラスの男が誰かの墓標に向かって話しかけるように身をかがめている。クレジットが続く。

左側のクレジットのせんたよりやや下近辺に男がいる

暗転

お気づきだろうか?

アスペクト比は主人公が生きた年齢によって変化しているのだ。(年齢は見た目のイメージ)

主人公の男
「3:2」  70代後半
「21:9」   60代半ば
「16:9」   30歳前後
「4:3」     10歳前後

母親
「3:2」 40歳前後
「21:9」  60歳前後
「16:9」  40歳前後
「4:3」    40歳前後

だが、観れば観るほど釈然としない矛盾や疑問が湧いてくる。

映像として描かれていない物語の断片が、小さな違和感を生み、ぼんやりとした謎となって問いかけてくるのだ。それらを頼りにアナザーストーリーを紐解いてみたくなるような仕掛けが随所に散りばめられていた。

老人は「人生の最終章」に何を書いたのか?

最初の疑問点は、21:9の画角で描かれるシーン【2】(セラピー会場)と【3】(レストラン客席)に現れる赤いマフラーの女だ。この人が亡母なのだとしたら、なぜこのシーンだけ白髪で年齢を重ねているのか?

レストランの客席

この物語における”母”は亡くなった年齢のままの姿で地下鉄やラストシーンに登場しているのに。

地下鉄の車内


次の疑問点はシーン【14】【24】【27】の墓地にいるサングラスの男だ。アスペクト比はビジネスマン時代と同じ「16:9」なのだが、どうも画質が違うような気がする。つまり、壮年期の彼と同時代にいる同一人物に見えないのだ。彼が向かう墓には誰が眠っているのか?

シーン【12】の少年はどこに向かって走っていたのか?

また、シーン【25】で希望を胸に教会から飛び出していった男だが、老年期に差しかかりグループセラピーを必要とする幸福とは言い難い状況にいる。彼が抱えている精神的な苦しみとは何だったのか?

【15】で、ピアノ店がアートギャラリーに変わってしまっていることを老人は知らなかったのか?知った上で訪れたのか?そして、シーン【21】の肖像画は何を意味するのか?

生死を超えて繋がっているのは母だけではない

This is the story of my beloved mother
(これは私の最愛の母の物語だ)

かろうじて読めるこの文章に囚われず、高橋マリ子演じる女性=母親、さらに少年期、壮年期、老年初期、老年後期を通して1人の男しか登場しないという先入観を全て取っ払ったら、こんがらがっていた疑問がスルスルと解けていった。

子供の頃に母を失い、大人になってビジネスマンとしては成功できなかったがピアニストになる新たな希望に満ち溢れていた男。

このMVではその後、30〜50代の彼に起こったことがすっぽりと抜け落ちている。これが物語の鍵となる。

things that happened to my life.
つまり、彼の人生に起こったことは”母の物語”だけではないということだ。

ここから先は小さなヒントを元に私が勝手に作り出した物語だ。数多の考察のひとつとして読んでいただけたら嬉しい。

隠された物語の考察

幼い頃、亡くした母の姿を追い求めては教会へとひた走った。そこに行けばいつでも母に会えるような気がしたから。会社を解雇されどん底にいた時も母を追いかけて同じ道を走り、本当に自分がやりたかったことに気づいた。

そうやって導かれるように”走り出した午後”から数年、ピアニストになった彼には”淡いときめき”を抱いた女性がいたのだと思う。彼女には亡母の面影があった。子供にも恵まれ家族で幸せを”重ねあう日々”があったに違いない。

仕事も順調でそれなりのお金や名声も得て”手にした瞬間になくなる喜び”を再び追いかけ、”愛されるために愛するのは悲劇”とわかっていても、満たされぬ心は彼女にそれを求めてしまったのかもしれない。

やがて、去っていく妻と子。ひとりぼっちになった彼はまたしても酒に溺れる。そこに届く妻の訃報。老いとともに仕事も減り、辛いこともたくさんあるがグループセラピーのメンバーに自分の過去を笑いながら話せるようになってきた。

母だけでなく妻も自分を見守ってくれているのを感じるから。

レストランのピアノで”何もないけれど全て差し出す”彼の演奏にグラスを掲げて微笑む客、暖かな拍手を送る客もいる。小さく一礼する彼の表情は見えないが、後悔も怒りも悲しみも全て”手を放す、軽くなる、満ちてゆく”のを感じていたのかもしれない。

母と行ったピアノ店はアートギャラリーに変わってしまったらしい。それもまた”変わりゆくものは仕方がない”。彼の元に1通の招待状が届く。

「私の絵を見にきてほしい」

そこに展示されている肖像画のモデルは母なのか?出会った頃の妻なのかはわからない。

涙ながらにその絵を見つめる彼に画家となった息子が近づいてくる。

離れ離れになっていた息子と”それでよかったと、これでよかったと、健やかに笑いあえる日”がやってきたのだ。

やがて旅立ちの時、穏やかに息を引き取った彼にそっとブランケットをかけたのは母だろう。「これからはあの子を見守ってやってね」

よく晴れた冬の日、墓地を訪れた息子。「オヤジ、あれ読んだよ」とちょっとくすぐったいような笑みを浮かべる。小さな手書きの文字から”開け放つ胸の光” が”闇を照らし道を示”していた。

父の”あの日のきらめき”をそのまま宿したような光輝く若さ。最後の力を振り絞って書き残した手記に綴られたように、彼もこれから数々の試練にもがくのだろう。だが、大丈夫だ。

手放し満ちて溢れた愛は世代を、時代を、そして”生死を超えて繋がる”、まさに”overflowing”。

読んでいただきありがとうございました。

母子だけでなく父子の物語が見えてきたら、演じている藤井風が実父にもらったサングラスを劇中でもかけていることにグッときちゃいましたw

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