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納涼ホラーチューン米津玄師「RED OUT」恐怖の根源を考察

不穏なサウンドに塗れた「RED OUT」はそれだけでも十分に怖いのにホラー映画みたいなMVを見るとさらに体感温度が下がる。

その恐怖の正体とは一体何?

「RED OUT」にはライブで披露した未発表曲「パーフェクトブルー(仮題)」と同じスーパースターたる自分を見つめる焦燥と覚悟が入り混じっていた。

やはり「RED OUT」はこの曲の転生なのか??

頂点に立った者にしかわからない仄暗いクライシス。”昇りつめたら後は下るだけ”という不安が確かな自信の陰で息を潜めている。

不安の種はチャート成績やセールスの不振でも、才能の枯渇でも、創作の苦しみでもない。(もちろんそれらに怯える気持ちもあるだろうが)

生来の天才であろうと稀代のヒットメーカーだろうと産みの苦しみは常につきまとう。作家の星新一もこう書いている。

無から有をうみだすインスピレーションなど、そうつごうよく簡単にわいてくるわけがない。

メモの山をひっかきまわし、腕組みをして歩きまわり、溜息をつき、無為に過ぎてゆく時間を気にし、焼き直しの誘惑と戦い、思いつきをいくつかメモし、そのいずれにも不満を感じ、コーヒーを飲み、自己の才能がつきたらしいと絶望し、目薬をさし、石けんで手を洗い、またメモを読み返す。

けっして気力をゆるめてはならない。

「星新一 きまぐれ星のメモ」より

だが、こうやって熱意を持って七転八倒しているうちはまだいい。

それよりもずっと恐ろしいのは自身のモチベーションの低下だ。

問題は、長く同じことを繰り返していると侵食してくる”慣れ”と”飽き”、そして”目的や意味を見失う”ことかもしれない。

「こんなことをやって何になるのか?」とか「自分は何のためにこんなことをやっているのか?」「他の生き方があったんじゃないのか?」という根源的な疑念は厄介だ。

エゴイスティックなまでの情熱や楽しみは薄れ、成功者ゆえの自罰的な感覚や責任が生じ、重いプレッシャーものしかかってくる。それでも遮二無二がんばっていたら、遥か遠くにあった夢が次々と現実のものとなり、あっけなく燃え尽き、進むべき道を見失い途方に暮れる。

「RED OUT」はそんな米津の現在地を曝け出したパーソナルな曲ではないだろうか?

鬼気迫るサウンドと歌詞、そして狂気のMV

凶暴なベースに迫り来るシンセの短いイントロ。唸るように歪んだ声。

ズキズキと脈打つ頭痛の原因は新千円札の北里博士が研究していた破傷風のようだ。小さな傷口から侵入し命の危機を招く病。冒頭から痛い、痛すぎる。

高音をブーストするとわかりやすいのだが、ハサミのような金属音が「波打つ春」のあたりからシャキシャキッと鳴っていて、この音があちこちに出てくる。

MVの引用元ではないかと噂されている映画「Us」では、地下に閉じ込められたいたクローンたちが表社会で幸せに暮らす本体への恨みを晴らしにやってくる。彼らが携えている凶器が大きなハサミなのだ。

彼らは言葉も話せず愛も幸せも知らずウサギを生で食べさせられ”影”として生息してきた。囚人のような赤い服を着て地上に現れジッとこちらを見つめて襲いかかってくる。


”輝く夢を見る、それは悪夢と目覚めて知る”

自分の音楽を広く遍く届けたくてポップスターになったはいいが、気がつけばそこは決して夢の世界ではなかった。手に入れた名声も数々のヒット曲も全て=”やがて朽ち果てていく”ことに心の準備をしようとしているようだ。

”焦げて真っ黒けのファーストテイク”は英語字幕では” A cherished first take burning to a crisp”=”焼け焦げてしまった大切なファーストテイク”と訳されている。

つまり、愛着のあるファーストテイクに手を加えまくり何度も擦っているうちに摩擦熱で焦げて使い物にならなくなってしまったと解釈できる。

丹精込めた作品が音楽産業の1商材として取引されていく様を”人の祈りにつく高値”と歌う。飲み屋ではお偉いさんが”下卑た面”でその曲を歌い、生きることを許されたいと祈った少年は”踏み躙られ”て泣いている。

ポップスとはそう言うものだとわかっているのに、「本当にそれでいいのかよ?」と迫ってくるもう1人の自分がいる。

無表情で街灯の下に立っていた赤い服の米津だ。

RED OUT MVより

赤いライトが点滅する誰もいない建物の中で苦悶する白い服の米津が、そいつに向かって”今すぐ消えろ….”と息も絶え絶えに訴え、ついに”消えろっ!!!”と声を振り絞って怒鳴りつける。

血が滲む想いで紡いだスタインウェイ&サンズの音色もずっと頭の中を支配するバックビート0.1秒で褪せてしまう。頑張っても頑張っても四苦八苦、悪戦苦闘の日々。

「死にかけ」はなにもこの時だけではないようだ。


公式インスタグラムより

MVに映るのは知名度や評価が上がるたびに持ち上げられ積み重なっていった椅子。そこにポツンと座る姿。わずかなバランスの狂いであっという間に転げ落ちそうだ。

RED OUT MVより

お前が望んだことなんじゃないのか?とばかりに無言で近寄ってくる赤米津。その目の奥で”どうした?地獄じゃあるまいに そんな目で見んな”と薄ら笑いを浮かべている。

ピッピッピッと心電図を想起する電子音が無機質に響く。マジでホラー。

”ダダダッダー”….投げやりなスキャットからの2コーラス目、”スクリーンに映る自分”でスーパースター米津玄師の存在がより鮮明になる。

”背中に刺さるヤドリギの枝”は米津に寄生し宿主を枯らしていく疫病神か?もしくは魔除けのお守りか?このラインの不安定なメロディに重なるキックがドドドッと不整脈を発症する。

MVで背に刺さっているのはヤドリギではなく”地獄耳”を意味する巨大なウサギの耳だ。無関心を装い背を向けていてもピクピクと動き秘密や噂や評価を敏感にキャッチしている。

RED OUT MVより


”繰り返し見る夢から覚めてもそこは夢”の意味は…

パブリックな米津玄師とプライベートな米津玄師の境界線が曖昧になっていると言うことかもしれない。

”マクガフィン”とは物語のプロットにおいて登場人物の行動モチベーションのために設定されるキーアイテムのこと。例えばチルチルとミチルが探し求めていた”青い鳥”もその一例。探していたのが黄色い果実だろうが赤い虫だろうが何にでも代替え可能で、且つ行動の動機づけとなっていることがマグガフィンの定義だ。

”見失ったままのマクガフィン”は、モチベーションとなるなら何でもいいのにそれさえも見失ったままと言うことか?

デマゴギーはいわゆる”デマ”のこと。火のない所にも煙がたち、少年は怒りに打ち震える。”日毎増していくグロインペイン”(成長痛)で自分の名前が大きくなるにつれて増悪する激痛が伝わってくる。

2度目の「消えろ!」はコーラスと喘ぐような囁き声が交互にクレッシェンドしていく。悲鳴にも似た「消えろっ!」で訪れる静寂に何かが軋む音が響き、不気味な重低音が地底から湧き上がってくる。

もう止まることも、逃げることもできないのだ。それは諦めであり絶望であると同時に覚悟でもある。

”止まれるもんか どこまでも行け”は英語ではこう訳されている。

Can'r stop now
I've got to reach for the farthest ends
(もう止まれない、最果てに到達しなければならない)

*I've got to は I have to と同じで"〜しなければならない"の意

「さよーならまたいつか!」でも”どこまでも行け”=(Go forth to wherever your heart desires)と歌っているが、随分と意味合いが違うのがわかる。「RED OUT 」では「さよーならまたいつか!」のように自由に進んでいくニュアンスではない。

強烈なGにより血液が眼球の血管に集中し視界が赤く染まることをレッドアウトと言うが、戦闘機のパイロットでもなかなか起きない現象らしい。

”視界はレッドアウト”で真っ赤になっている米津には一体どれほどのGがかかっているのだろう?ラストに向かって”痛覚を開いて今全霊で走っていけ”とか”万感の思いで”とかもはや逃げ場のない疾走感で畳み掛けてくる。

特に”明滅を裂いて今心臓を抉って行け!”

I'll get there if I have to slash through the flashing lights and gouge out my heart(明滅するライトを切り裂き心臓をえぐり出してでも、俺はそこにたどり着くだろう)と訳されており、前述の通り、”そこ”は”最果ての地”と言うことになる。

このパートでの”どうした?そんな目で見んな”は、1コーラス目とは逆に白米津が赤米津に向かって凄んでいる。

おそらく赤米津は、白米津に「もっと他の生き方があったんじゃないの?」、「もう十分やりきったんじゃないの?」「そろそろラクになったらどうだ?」と唆す彼の分身なのかもしれない。何もかも投げ捨てる甘美な誘惑とのギリギリの攻防だ。

元来「晴耕雨読の生活、凪の人生」を送りたかったといつかのインタビューで語っていた米津。だが、遠くへ行きたいと願い走り続けた結果、もはや後戻りのできないところまで来てしまった。

だからもうこのまま突っ走るしかない。目的などわからなくなってしまっても。意味なんかなくっても。

プロモーション活動、ライブ、取材….目の前に山積みの仕事をこなし、やってもやっても何年先の分までタイアップを依頼する人たち並んでいる。

クローンの悲哀を描いたカズオイシグロの小説「私を離さないで」を愛読し、その舞台となったイギリスの”LOST COENER”を訪れた米津玄師。同名を冠したアルバムのオープニングで、こんなにも赤裸々に自分の虚像と実像を曝け出してきた。

”あとジャスト八小節”で鳴る”ファンファーレ”は、凶暴なチェーンソーの雄叫びだ。そしてこれが4年間の集大成だとばかりに特大タイアップ曲たちが煌びやかに輝く。

MVの最後にサモトラケのニケ像が映る。勝利の女神は頭部と両腕を失ってもなお翼を広げ胸を張って力強く立っている。

迷える羊はまだ迷い続けているのかもしれないが、新曲も含め「LOST CORNER」は今後の米津玄師の方向性を占う重要な1枚となることだろう。

最後に米津も敬愛する宮沢賢治の有名な格言をひとつ
「永久の未完成これ完成である」

最後まで読んでいただきありがとうございます。
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<オマケ>
RED OUTはFlamingoと同じ系譜の曲かもしれないな…
他にもPaperFlowerやneighborhoodも。

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