米津玄師「Décolleté」は色恋沙汰の歌ではないかも
名盤「STRAY SHEEP」に収録されている「Décolleté」は、キラ星のごときヒット曲の隙間から艶かしい匂いを放っている。
ヨーロピアンなメロディ、アコーディオンやチェロの淫靡な音色、気怠い歌声に交わる女の吐息…官能と退廃が奏でるサウンドにダークな歌詞が絡み合う。
個人的にはこの曲を聴くと、セルジュ・ルタンスやヘルムート・ニュートンが大昔に制作した耽美なCM映像が浮かぶ。
米津玄師はこの曲について何も語っていないが、唯一のコメントがRockin'onJAPANのインタビューにあった。
つまり、痴情のエロさを纏った「Décolleté」には、米津が”無邪気”に吐いた”皮肉”が潜んでいるというわけだ。
歌詞を読み解くためのキーポイント
同インタビューによると「STRAY SHEEP」収録曲は2020年の「1月〜2月くらいからポツポツと作り始めた」らしい。
世界中が新型コロナウィルスの脅威に戦々恐々としていた頃だ。音楽業界もその大混乱に巻き込まれ、米津もまた2月1日からスタートしたライブツアー「HYPE」の中断を余儀なくされた。
パニックに陥った世の中をネット越しに眺めながら、アルバムの曲作りに没頭していたという米津。当然その心情は穏やかなものではなかっただろう。
それでも「誰が何を言おうと、自分にとって必要なものは自分にしかわからない」(ナタリーより)と、彼の音楽を待つ人々のために黙々と音楽を作り続けた。
まだ緊急事態宣言が発令される前、行動制限はあくまでも任意だった。そのためライブやイベントを中止するアーティストが続出する一方で、ライブを決行した東京事変には賛否の炎が噴き上がり、活動を継続するライブハウスやミュージシャンへの風当たりも強くなっていく。
「いろんなものを眺めていると自分までそこに引っ張り込まれそうになって感傷的になってしまう時もあったんです」(ナタリーより)と告白した米津。
同アルバム収録の「感電」の歌詞にもあるように、当時は”真実も道徳も動作しないイカれた夜”や”正論と暴論の分類さえできない街”がネットにもリアルにもあった。
「対面にいた人間の言葉の切れ端や当てられた感情などをコンバートしていってサラッとできた」と米津本人が語っているように、諦めにも似たやさぐれた気分の発露が「Décolleté」だったのではないかと思う。
「やってらんねーな」という疲弊と無力感
では、それを踏まえて歌詞を考察していこう。
”祭り”を「HYPE」だと捉えると、”ヘタれたハズレくじ”とは中止公演のチケットだろうか。無論、チケットが無効になってしまったファンを揶揄しているわけではない。
楽しみにしてくれていた人たちの期待に応えられなかった自分、ひいては音楽という脆弱な生業への自虐が現れているような気がする。「すいませんね、こんなヘタレくじを引かせてしまって」みたいな。
仕方がないことと理解はしていても、気持ちの収まらない人も大勢いて「他のアーティストのように無観客ライブ配信すればいいじゃん」「円盤化して」などの意見や希望も数多くあっただろう。
”今更水を差さないで”は、断腸の思いで決断したことを蒸し返すな!という意味で、2番の”易々と延べんな。他を当たってくれ”にもかかっているのかもしれない。
強い言葉で拒否した後に”ダーリン”と続くのは、そう思う気持ちも痛いほどわかるが故に、無下に斬り捨てられない忸怩たる想いが滲んでいる。”ダダダダーリン、ダダダダーリン”のフレーズが、ダーリン=大切な人たちに対してどうすることもできない無念さを叫んでいるように聞こえる。
始まったばかりのツアーの楽しさに溢れていたSNSのタイムラインも荒れ、正義やモラルの皮を被った親の顔が見たくなるような罵詈雑言、泥仕合が続く。
2番の歌詞”泣き出すのはノーモア”のような泣き言や恨み節に辟易し、”名のついた昨日”=つまり今までの自分の名声などもうどうでもいいから”静かな明日”を欲してしまう。そんな無責任さを懺悔するように”卑劣な隣人をお許しください、エイメン”と皮肉たっぷりに歌われている。
周りの雑音に”数えるからすぐに消えて”と苛立ちを隠さず、"深く眠りにつきたい"、”兎角疲れました”と嘆息する人間が欲する”混じりっけのないやつ”とは、おそらく自分が消えて失くなることができる何かだろう。それは強い原酒か?それとも…
”はたと冷めたアールグレイ”のポイントは、”はたと”にある。普通、熱い紅茶は徐々に冷めていくものだが、この歌では”はたと”(=突然)冷めたのだ。”マイファニーバレンタイン”は「ダメなあなたも大好きよ」というスイートなJAZZの曲名。そんなのは幻想なのかもしれないという諦観。
結局、自分は”健やかなる人生”があってこそ、そこの”ひび割れをしゃなりと歩く”ことができる存在なのだ。世の中全体が不健全にひび割れだらけになっている今、手足をもぎ取られた”裸のトルソー”は”ばら撒かれた愛情”を”噛む”*しかない。
*噛みめるの意(関西の方言らしい)
失って気づくライブの価値
以前から、ライブは音源制作ほど重視していないと公言していた米津だが、公式のブログでも「今わたしはライブツアーが行えないことを心底残念に感じる」と書いているように、失われた「HYPE」への想いはおそらく本人も意外に思うほど強かったのかもしれない。
もがきながら探していた”芳しいほどに煙る春”がやっと訪れた2023年。人数制限も声出し制限もない全国ツアー「空想」のステージに、彼は今、どんな気持ちで立っているのだろうか?
"デコルテを撫でて"いった”月”は、壮大な新曲「月を見ていた」に昇華され、”デコルテに溶け”た”風”は、禍いを耐え抜き、生き延び、笑顔で戻ってきてくれた観客の温かな声なのだと思う。
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