3つの視点から米津玄師TOUR「変身」のテーマを考察
約10万人を動員した米津玄師2022TOUR「変身」は、”3つのテーマ”からなる”エンタメ作品”だったと思う。
その3つとは、
この記事では、この3つの視点からTOUR「変身」について考察していく。
ライブに参戦していない方、もしくは記憶が曖昧な方は、まず下記リンクのライブレポからどうぞ。
*変態的に詳細な記憶力限界ライブレポこちら!
前編↓
後編↓
NIGI-chanは米津玄師?
ツアータイトル「変身」は、「ウルトラマンの流れから必然的につけたもの」だと、Rockin'on JAPANのインタビューで語っている。この時点で米津の頭の中にあった”「変身」から「何か面白いことができたらなぁ」”という漠然とした想いが、NIGI-chanとしてカタチになったような気がする。
つまり、NIGI-chanはツアー「変身」のシンボル的キャラクターであると同時に、米津玄師の化身として生み出されたというわけだ。
今さら書くまでもないが、グリーンの顔に赤と黄色のボタン状の目というNIGI-chanのカラーリングは、そのまま、米津が着ていた衣装にリンクしている。
そして、MCで発していた変な訛りの「コンニュチュワァ」。これは外国語ではなく異種生物であるNIGI-chanがやっと覚えた人間の言葉という設定なのだろう。「かいじゅうのマーチ」の歌詞が思い浮かぶ。
今回のセトリにこの曲を入れなかったのは、NIGI-chanがこの曲のメッセージを体現していたからかもしれない。
そもそも米津は”自分のことを怪獣だと思って”生きてきた。
9年前の自意識は、日本を代表するPOPスターとなった今でも米津玄師という人間の「核」にあるように思う。だから、もしかしたらアーティスト米津玄師の方が、怪獣NIGI-chanの変身中の姿なのかもしれない。
2021年以降の米津は、どこか吹っ切れたかのようにビジュアル的”変身”サプライズを連発した。
ピンクのヘアカラーで現れた「Pale Blue」、和装やダサいスーツ姿で落語のストーリーを演じた「死神」、「POP SONG」ではまさかの女装、ウルトラマンのように空を浮遊した「M八七」。極めつけは「KICK BACK」でのムキムキマッチョ姿だ。
もちろん、サウンドや歌声も多彩に変化。その鮮やかな”変身”でファンの視聴覚を刺激し続けてきたわけだが、その奥底ではNIGI-chanがボタンのような動かぬ目で、スポットライトを浴びる”米津玄師”をじっと見つめている。自嘲と自信が交じった真っ赤な舌を出して笑っている。そんな気がしてならない。
NIGIとは二儀=両義性のことだろう。いくつかのインタビューで”両義性”のあるものが好きだと語っている。
NIGI-chanのネーミングは、おそらくあらゆる物事に存在する二儀性が由来ではないかと思う。
もうひとつ、NIGIは「Now I Get it!(今わかったぜ!)」という意味のネットスラングでもある。
STRAY SHEEPを総括した曲が・・・
2020年10月に公開された公式ブログにニューアルバムを引っ提げたライブができなかった無念を滲ませていた米津だが、翌年の5月、インスタグラムに無言で唐突にアップされた「STRAY SHEEP」ジャケットの線画を見た時、彼の中で「STRATY SHEEP」が供養されたのだと思った。
色彩も、象徴的だったクリスタルの光も消えたイラストが、次に進む区切りの遺影のように見えたのだ。実際、この翌月に約10ヶ月ぶりの新曲「PaleBue」がリリースされた。
前々作「Bremen」を冠したツアー「音楽隊」ではアルバム収録14曲中12曲を、次の「Bootleg」のツアー「fogbound」では14曲すべてをセトリに入れているが、「変身」では「STRAY SHEEP」15曲中、歌ったのは10曲だけだった。
アルバムからセトリ落ちした5曲のうち、「カムパネルラ」は”「STRAY SHEEP」を総括する曲”だと、リリース当時いくつものインタビューで語っている。にも関わらず、今回、歌わなかったことで、このツアーが既に「STRAY SHEEP」の”次”に位置していることを明確にしたのではないか?
しかし、最後の最後の曲「M八七」のセンタースクリーンに浮かんだ巨大なクリスタルはまさしく「STRAY SHEEP」のシンボルそのものであり、ツアーグッズのパーカー の柄もまた同じクリスタルだった。
「STRAY SHEEP」のクリスタルモチーフには、このエピタフが刻まれているのかもしれない。
13と16が抜けた虫食いセトリ
今回のセトリは米津玄師名義でデビューした2012年〜22年のマスターピースと言えるヒット曲が散りばめられていた。
全曲をリリース年順に並べると、2013年、2016年に出した曲を入れれば10周年分コンプリートだったのに惜しい。
2013年には、初めて他者と共同で作り上げ、MVで顔を見せた記念すべき「サンタマリア」や、ライブで2回しか歌っていない「MAD HEAD LOVE」だってある。シングル表題曲なのにアルバムにも入らずライブで1度も歌ってもらえない「ポッピンアパシー」なんかもう不憫でならない。
ライブ定番曲となっている2016年の「Loser」も入れておけばよかったのに・・・。
他の曲を削る必要はない。「脊オパの上海公演だけ24曲もやったこと知ってんだぞ!」と欲張りたくもなるが、米津にとっての10周年は、その歩みを振り返り全年のヒット曲をなぞるということではなかったのだろう。
それよりも、”クソみたいな日常”を生きるオーディエンスを、夢のような別世界へと誘う”エンタメ作品”としての完成度を極限まで高めることが、この10年の確かな足取りの到達点であり、通過点だったに違いない。
そのための入念な準備を積み重ねてきたであろう、自らが目指した”どこに出しても恥ずかしくない米津玄師”の偉容がそこにあった。
そして、10年の間に起きた大きな出会いと別れが、アニバーサリーの物語を重層的にしていた。
肉体表現の礎となった辻本知彦のダンスレッスン。
熱烈にオファーして叶った菅田将暉とのコラボ。
アレンジャー坂東裕大によるオーケストレーション。
憧れていた野田洋次郎とのデュエット。
常田大希とともに新たな扉を開いた新曲のプロデュース
などなど・・・
それぞれの曲に、それぞれ人たちとの大切な出会いがあったに違いない。
他にも公になっていない喜びも怒りも悲しみもたくさんあったことだろう。ライバルであり兄のように慕っていた大親友との突然の死別も。
そのすべてを受け止め、咀嚼し、音楽に昇華してきた10年。
2018年1月の武道館以来、ライブで歌わなかった「アンビリーバーズ」を今歌ったのはこんな想いを伝えたかったからではないだろうか?
ちなみにこの曲は、「ひまわり」を捧げた「今はもういない親友」が絶賛してくれた曲でもある。
「空想」へとつながる通過点
NIGI-chanはジョウロを持ってエレベーターに乗り、ステージに降り立った時には米津玄師の姿になっていた。”今日はこの庭を綺麗な花で飾りましょう”という「ETA」の歌詞そのままに、花に水を与えるようにジョウロをかざして歌っていた米津。
エンディングムービーで街へと繰り出したNIGI-chanが次に向かう先もまた、綺麗な花が咲くお庭に違いない。
皆様が「空想」の庭に咲く花になれますように。
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