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キタニタツヤ「プラネテス」の歌詞とMVを徹底考察

 2月24日に配信されたキタニタツヤの新曲「プラネテス」。3月9日にはMVとファーストテイクも公開され、両動画ともにわずか1週間足らずで100万再生を突破した。

プラネテスに秘められたもうひとつの漂流者

 ファーストテイクの冒頭、キタニは「彷徨う者たちと言う意味の言葉で”プラネテス”と言う歌を歌います」と挨拶している。「プラネット=惑星」の語源となったギリシャ語「惑う人」という意味だ。

 この曲の英語タイトルは「Two drifters=2人の放浪者」。ここで加藤茶や志村けんの”ドリフターズ”を思い出すか、キリンジの”drifter(2013年リリース)を連想するかで年齢がバレそうだが、プラネテスに影響を及ぼしていそうなのは後者の方だ。

Drifterドリフター」は、私なりにざっくり要約すれば「虚しさや孤独を感じる生きづらい世の中だけど、迷いながらも逃げることなくあなたとともに生きていこう」と言う歌だ。

「プラネテス」はテーマそのものが「Drifter」にとても近いように思う。

 もしかしたら、意図的に「Drifter」の令和版として書いたのかもしれない。2013年当時よりもはるかに強い影響力を得たSNS。そこに充満する嘘くさい繋がりや顔の見えない悪意。それをキタニはこう表現している。

知らない国に迷い込んだみたいだ
誰もが綺麗な嘘で話してる
(1番Aメロ)

死んでしまった誰かのニュースに
涙した優しい人たち
這いつくばって生きる誰かの
生きているざまには舌打ちをした
(1番Bメロ)

海の向こうで起きた悲劇に
慈悲をかけ憐れむ人たち
同じ言葉で話す誰かを
傷つけてどうして笑えてしまうの?
(2番Bメロ)

プラネテス 歌詞より

歌詞とMVにもある符号とは?

「Drifter」と「プラネテス」には他にもいくつかの共通点がある。

<腕時計>

「プラネテス」のMVで象徴的に登場する腕時計。シーンが変わっても2時1分あたりを指しているのは、この時計が止まっていることを物語っている。

 そして、「drifter」にはこんな歌詞がある。

手巻きの腕時計で永遠は計れない
虚しさを感じても手放せないわけが
この胸にある

drifter 歌詞より

 「プラネテス」のMVにおいて重要なエレメントとなっているこの腕時計が何を表しているのか?この考察は後に回したい。

<ムーンリバー> 

 「ムーンリバー」といえば、オードリーヘップバーン主演の「ティファニーで朝食を」の挿入歌だ。

 この曲には「Two drifters」とそのものズバリの歌詞がある。

Two drifters, off to see the world
2人の放浪者が世界を見に旅立った

There's such a lot of world to see
見たい世界がこんなにも沢山あるの

ムーンリバー歌詞より

 そして、"ムーンリバー"と言う言葉はキリンジの「Drifter」にも出てくる。

欲望が渦を巻く海原でさえ
ムーンリバーを渡るようなステップで
踏み越えて行こう、あなたと。
この僕の傍にいるだろう?

Drifter 歌詞より

 ムーンリバーという川は実在しないが、作者の故郷を流れる、川幅が1マイル(1.6km)にも及ぶ大河のことだという説がある。つまり、ムーンリバーとは、”今の自分と外の世界を隔てるモノの象徴”なのだと思う。

「プラネテス」のクライマックスでは、この歌詞が高揚感溢れるコーラスとともに3回も繰り返される。

あのムーンリバーを渡って
迷いながら進もう
沢山の世界をあなたと見たいよ

プラネテス歌詞より

 約60年前の「ティファニーで朝食を」から2013年の「Drifter」、さらに「プラネテス」へ…。脈々と流れ続ける”ムーンリバー”は、いつの時代も、越えていくべき試練、挑戦、覚悟、そして”希望”のシンボルなのかもしれない。

MVが物語る「プラネテス」の意味

MV登場人物の謎と役割

 キタニが演じている3役を含む登場人物7人はそれぞれ何を表現しているのだろうか?

雪の中を歩く主人公
部屋の真ん中に座る主人公
酸素マスクを装着し横たわる主人公
水中を漂う女性
雪に埋もれた女性
後ろ姿の男性と彼に抱かれている赤ちゃん

 結論から言うと、女性は母、男性は父でその腕の中の赤ちゃんは幼い頃の主人公だと思う。と言っても実際の両親というわけではなく、絶対的な愛で未熟で脆弱な自分を守ってくれるものの比喩だ。

 これを踏まえて、MVのストーリーを考察していこう。

MVのストーリー考察

 現実の主人公は彼だと思う。白銀の世界は彼の心象風景だ。

 まるで”綺麗な嘘”のような真っ白な雪に覆いつくされ、”知らない国に迷い込んだみたい”な場所。そこはボロボロに破壊され誰もいなくなった東京だった。東京砂漠ならぬ、東京雪原だ。

 凍えそうな身体を引きずり、大切な誰かを探すためたったひとりで彷徨い歩く。

疲れ果て倒れ込んだ彼が見たのは遠い幻。

 この女性が泳いでいるのは温かな”羊水”なのではないだろうか?それは、臍の緒でしっかりと繋がっていた安らかな胎児の頃の記憶

 だが、生まれ出た世界では、無力な新生児のように身動きひとつできない自分。保育器みたいな”安全な場所”から出ずして自由にはなれないのに。

 再び歩き出した彼が次に見たのは、幼き日の自分を抱いた父。呼べども叫べども遠ざかっていく父の背中。

 前を行く父の足跡がないことが、物理的にも決して届かない想いを表しているようで切ない。

 そして、父が残した腕時計だけが自分の腕にある。だがそれはもう時を刻んではいない。もし、この時計が前述したように「手巻き」だったとしたら、自らがねじを巻かなければ2度と動くことはないのだ。

 それはつまり、”自分自身が行動を起こさなければ何も始まらない”ということを意味している。

 さらに、雪に埋もれた母の亡骸を発見する。もう自分を無条件で愛し、守ってくれる存在はどこにもない。その現実は途方もない絶望であると同時に、残酷なまでの痛みを伴う新たな旅立ちなのかもしれない。

 絶叫にも似た慟哭とともに自ら酸素マスクを外すと、「あのムーンリバーを渡って迷いながら進もう」という壮大なコーラスが始まる。

 母の赤いマフラーと父の時計。確かに受け取った愛とともに、例え過酷で困難が多く待ち受けていようとも、前へと歩み出したのだ。

 さて、最後に彼が転落した水中で女性に手を導かれ、抱き合うシーンは何を表現しているのだろうか?いつか出会いたい”あなた”を夢見ているというのが素直かもしれない。

 その人は母のような無償の愛で彼を包んでくれるのだろうか?羊水で満たされた子宮のように、温かく安全な場所で一心同体になれるのだろうか?

 きっと違うと思う。最後の歌詞「ふたつの寂しさでも、あなたと生きていける」は、決してひとつになることはない人間同士が、それでもともに生きていくことの尊さを歌っているように思う。

 それは恋人同士や家族だけでなく、同じ時を生きる人たちすべてに贈る「たとえ過酷な道でも自分の足で踏み出そう。そして一緒に生きていこう」というメッセージのようにきこえた。

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