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私と重慶森林

一番好きな映画は?と聞かれたら「恋する惑星!」と(早口で)即答すると思う。

来週には、4K修復版の劇場公開が待っている。毎日それについて考えては、ドキドキしている。久しぶりに親しい人と再会するような、そんな感覚。
今も届いたばかりのOSTのレコードを回しながら、この文章を書いている。正直に言ってしまうと、レコード自体には興味はないが、重慶森林を実体として所有したいという気持ちが強かった。若干のコレクター気質である。家宝にしよう。

だいぶ脇道にそれてしまったので、話を戻そう。
私は、王家衛監督の映画「重慶森林」が大好きだ。けれど、理由を聞かれると困ってしまう。
好きな気持ちが複雑に絡み合っており、どうも一筋縄ではいかない。
だからこそ、どうして好きなのか、ここに書き綴ることで整理できたら、と思う。

※私は映画を私物化して、自分の経験に落とし込んで考えて、時に共感しながら楽しんでしまう節がある。偶然見てしまった人の気分を悪くしたくないので、ここで注意喚起をする。

同世代と「恋する惑星」や「王家衛」を語る時、“オシャレ映画”、“アートみたい”という言葉がよく並べられる。(あくまでも私の経験則でしかないけれど)
特に、私たちのような比較的若い世代にとって、返還前や返還直後の香港は生まれる前の時代だ。この頃の香港に現実味はなく、ファンタジーの世界に見える。
それよりもヴィクトリアハーバーの煌びやかな夜景、ディズニーランド、デモのニュースの方が馴染みがあるような気がする。
2018年の秋、私は1度だけ香港へ行ったことがあるが、無機質な新しさと生活感のある古さが入り混じった非常に複雑な街だったと記憶している。そして、どことなくピリッとした空気があった。少なくとも、重慶森林で知る香港は、かつて旅行した香港とは別の世界だった。

それでも、私にとっての重慶森林は、アートやオシャレといった高尚な物ではない。(他の王家衛作品については言及しないが。)
もっと身近にある存在であり、なんだか泥臭い人たちが沢山登場する。時に切ない気持ちになり、可愛くて愛おしい気持ちにもなる。

私が重慶森林をはじめて観たのは、ここ最近のことだ。2年前?
それなのに、どういうわけか、何度も繰り返して観た。非常に私らしくない行動だと思う。それに何度観たって、結末も何も変わらないはずなのに、毎度違う表情を見せてくれる映画なのだ。これが、恋する惑星を好きになってしまった理由のひとつだと思う。

私のはじめての「重慶森林」の話に移ろう…
それは、鍵を掛けた引き出しの奥に、そっと閉まってある、大事な初恋の出来事である。
超個人的な小っ恥ずかしい思い出話になるけれど、、
2020年の夏、地元の珈琲店で。憧れの人から「夢中人」を薦められたことが始まりだった。

付き合う前の元彼と初めてのデートをした日。香港人の彼のこと知りたくて、広東語の曲を教えて!と強請った。そうして教わったのが王菲の「夢中人」である。
恥ずかしながら、この時になってはじめて広東語の存在を知った。育った国も文化も言葉も…全く違う彼を知りたい、彼の親しむ音楽を知りたいと思ったのだ。
この時すでに、私は彼のセンスに心酔しており、言われるがままにapple musicに曲を追加した。彼は、有名な曲だと教えてくれた気がする。

その日の夜、家に帰って、こっそり1人で聴いた。全くもって、歌詞の意味はわからなかったけれど、
楽しかったデートを思い出しながら、格好良い彼のことを考えながら、まさに夢の中にいる感覚だった。

次に、“フェイ・ウォン”の存在に興味を持った。大小の漢字が並んだ(胡思亂想の)ジャケットから掴める情報は、極限までに少なかった。そこで、何気なくYoutubeで調べた重慶森林のMV…
これを観て私の心は、奪われるような感覚があった。やけに奇抜なショートヘアの女性が軽快に体を動かす姿、あまりにも意味不明で可愛らしかった。

その後の私の行動は、早かった。今は亡き駅前のTSUTAYAに駆け込み、DVDを借りて、夜になったら部屋で1人で観た。あの時のドキドキといったら、今も忘れることはできない。
それなのに、映画の内容については全く意味がわからなかった。奇抜な内容にも惹かれたが、フェイ・ウォンが良い!夢中人のMVだ‼︎という感想が大半だった。
そもそも、当時の私は誰とも付き合ったことがなかったから、失恋の痛みがわからない…という塩梅だった。残念ながら。

その数週間後、憧れていた彼は香港へ帰国した。コロナウイルスが猛威を振るう中、いつになっても会える兆しのない遠距離恋愛が始まり、いつの間にか香港の自由は急速に失われた。会いたい気持ちになったら、「夢中人」を聴く日々だった。そして、半年を過ぎた頃にはこの関係もすっかり破綻してしまった。
別れた日からは、彼を深く傷つけたことや、幸せだった思い出、香港にまつわる全てに背を向け、蓋をして、忘れた振りをしていた。

それから更に半年後のある日「恋する惑星」の存在を思い出した。
理由はよくわからない。コロナウイルスのワクチンを打って、熱にうなされ、ひとり心細くなってしまったのか…
久しぶりに王菲の夢中人を聴いて、泣いてしまった。

別れた直後は、彼を思い出す“香港”を遮断するほどだったけれど、心の奥底では香港も王菲も、彼のことも大好きだった。
この時になってようやく、恋の終わりを実感することができた。悲しかった。

この時に観た重慶森林は、以前とは全く印象になっていた。驚いてしまった。
21歳になって失恋を経験した私は、金城武と梁朝偉の悲しみや、延々と続きそうにも思える未練、悲嘆に暮れることで得られる若干の快楽と中毒性に深く共感した。
愛する人と別れた悲しみによって前に進めずとも、日常生活は続いていく。どうして現実は残酷なのか。別れは受け入れ難いし、思い出の品々を今すぐ捨てる勇気もないのだ。
ましてや、彼と訪れた場所はそう簡単に取り壊されることもないし、今も相変わらずそこにある。不変の存在だ。
なにかを見て、思い出して、ふとした瞬間に悲しみに突き落とされるし、もしかしたら彼が戻ってくるかも…という淡く自分勝手な期待など、、抱いてみたり。

彼と付き合う前、何度もデートをした。ある時、「夢中人」の歌詞の意味がわかる?と、聞かれたことがある。私は恥ずかしくなってしまい、必死に目を逸らして「わからない」と答えた記憶がある。
当時の私には、“1分間の抱擁”という歌詞にすらドキドキしてしまう程だった。
今でも少し切ない気持ちになるが、同時に私の心を温めてくれる特別な曲だ。
私が缶詰にしたい記憶はこれ。

これだけ夢中人の話を延々としておきながらも、私は前半パートが好きだ。
金髪の女性の “Really knowing someone doesn’t mean anything, People change” というセリフが大好き。
キザなセリフを繰り出す何志武、可愛い。全然似合っていないし、ハリボテみたい
“Tomokazu Miura!! I kill you!”と叫ぶほうが彼の身の丈に合っていると思う。そこが好き
犬と話す金城武、電話をする金城武、パイナップル缶を食べる金城武…すべてが可愛い!
それと、麻薬の梱包作業のテンポの良さと音楽には中毒性がある。何よりもブリジット・リンの後ろ姿が超格好良い。

今週末に恋する惑星などの4K上映を観る「今の」私は…何を思い、何を考えるのか。すごく楽しみにしている。

私の夢は重慶大廈で深呼吸をすることだ。果たしてどんな匂いが、するのだろうか。


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