擬人化は楽しいぞ!

こんにちは、タイトルからして結構ぶっ飛んだ内容かと思います。というわけで今回は「擬人化は案外悪くないぞ」ということを広めるために書いていきたいと思う。

擬人化の起源について

そもそも擬人化とは

人間以外のものを人物として、人間の性質・特徴を与える比喩の方法である

擬人観 - Wikipedia

作品でいえば刀剣乱舞、はたらく細胞、あたりが有名でしょう。またアンパンマンも擬人化ジャンルに入るようです。

日本は擬人化が多く、ありとあらゆるものが人になっています。中でもケモノはかなり多い派閥に分かれている印象が見受けられ、けものフレンズが出た当時に「これはケモノじゃない」などの意見があり少し界隈が荒れたことはご存じだろう。
筆者は当時そこまで興味がなかったので、この話題は後から知ったのだが

擬人化の歴史

古くは旧石器時代にまでさかのぼり、「ライオンマン」は世界最古(約32,000年前)の彫刻である。そして日本で擬人化の起源とされているのは平安時代末期から鎌倉時代初期に書かれた国宝『鳥獣戯画』だ。
そして擬人化ムーブにおける歴史はこれらに比べると案外浅い。2003年に漫画連載が始まり、TVアニメ化までされた『びんちょうタン』が擬人化ムーブの発端であるとされている(諸説あり)

本題

ロボ擬人化について

私が描いているロボ擬人化について語らせていただきたい。
本来メカやロボが人のように自我を持つなんてことは、どこぞのトランスなフォーマーかどこぞのブレイブなロボくらいだろう。
だが私がやっているのはそうではない。本来自我を持たず、なんなら人の形状をしていないロボを、さながらアンドロイドのような形にしている。

アーマード・コフォーアンサーーに登場するホワイト・グリント

これが

擬人化したホワイト・グリント(途中)

こうである

私の所感としては、メカやロボ界隈においての擬人化は多くはないと感じている。もちろんグリン子(ホワイトグリントを擬人化した総称)は本来持つ知名度から数多く擬人化されているが、それでもやはり「有名だ」とは言い切れないのが現状だろう。

たしかにわからなくもない。メカ本来の持つかっこ良さのほとんどを崩してしまうことになりかねないのだから。

でもよく考えてほしい

逆に我々と同じような姿をしていることで、親近感が増すものではないだろうか。それはもちろん私が行っているロボ擬人化のみならず、ほかの擬人化ジャンルにも言えることである。



アーマード・コア マスターオブアリーナに登場するナインボール=セラフ

これが

ナインボール=セラフを擬人化した設定画

こうなる

「擬人化なんて人の形保ってさえいればなんだっていいだろ!!」という魂胆が全く丸見えなのが見て取れるだろう。
そう、擬人化はある程度人の形をしていればなんだっていいのである。自由度が非常に高く、デザイナーによって細部が変わったりするので、それらを見比べるのもまた一興だろう。

最後に

たとえ擬人化元となったものの良さを消すこととなってしまっても、その文新たに良さというか癖を詰め込めばプラマイゼロではないのか、というのが私の持論だ。
擬人化だから好きじゃない」とか「擬人化は悪い文明だ」と言って頭ごなしに否定せず、少しでもその作品に触れてみるのも悪くはないのではないだろうか


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