死、という暇人の玩具について
僕は、俗物であって、酒によって、いま眼鏡をかけるより、かけないほうが、画面がよく見えるのである。
俗物は、君に問う。君のいう、君の尊ぶ、君の愛する、不幸、常軌を逸したものごと、異常、欠陥、欠点、救いようのない部分、は、ほんとうに、そうなのであろうか。
世の中は、どうでもよくて、広くて、秩序などないのである。ぜ。ぶち壊せ、ぶち壊せぶち壊せ、ぶち壊せ、ぶち壊せ、ぶち壊せ、ぶち壊せ。
お前なんて、どうでもいいんだ。誰も、お前なんて、どうでもいいんだ。壊せ、壊せ、壊せ、壊せ、破壊と再構築、スクラップアンドビルド、君らは、自分を嫌っていながら、自分を殺さないのである。なあ、他人は殺せないが、自分なら、何度でも、何度でも殺せるだろ?君という肉体、容器、箱の中で、何度も殺して、生まれ変われ。
他人なんて知るか。他人なんて知るか。他の人たちなんか、平凡な、平坦な、何もこの世の美しさを理解する土俵にも立っていない人なんか知るか。
ただ、お前は、その人には手出しできないのである。だから、お前を殺せ。自撮りしてから、殺せ。
じぶんを、培養液に浸して、死を先伸ばす前に、殺して、生まれ変われ!お前は、その権利を得たんだから、いっかい、セックスして、死んで、生まれ変わって、また新しい君として、新しい生を授かりて、日の光に感謝し、どうしようもなく倦怠な体で、コンビニのおにぎりと、インスタントのしじみの味噌汁を啜り、食べなさい。
それが、君の幸せだろ。
僕だって、何もかわりゃしないさ。