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賽助著『君と夏が、鉄塔の上』を読んで

 自分の存在や他者との関わり方などの葛藤、そういった青春の一時を、優しくもユーモアのある文章で思い出させてくれた気持ちのいい小説だった。

物語の主人公は「伊達」という鉄塔が好きというマイナーな趣味を持つ以外は特徴もなく、クラスにはあまり友達のいない内気でネガティブな中学の少年である。そんな伊達が、鉄塔好きであったために破天荒過ぎる行動で学校でも有名な少女「帆月」に目をつけられ、更には幽霊が見える少年「比奈山」も加えて94号鉄塔の上にいる男の子の謎に迫っていくというストーリーだ。

物語の中心にあるのは「記憶」というテーマだと思う。「記憶」というのはすなわち思い出で、人あるいは物の存在や立ち位置を決めるのに記憶は大きな役割を占めている。あの人とはよく遊んだから親友、覚えのない人は他人。愛用の傘は破れても使うし、旅行先で買ったコンビニの傘はその旅中になくすことだってある。記憶に残る「もの」は、永遠に生き続けるといえるかもしれない。だから、「つきのみや」のものたちは物の記憶を丁寧に「おみおくり」したのだろう、命の終わりを尊ぶように。
またこのテーマは、伊達の所属する地理歴史部の部長、木島の「忘れられた時、街は死ぬ」という格言めいた言葉に凝縮されているように思う。

そして、この記憶あるいは思い出に執着していたのが帆月だ。彼女は離婚した母に自分が覚えられていなかったことで自分の存在が揺らぎ、みんなの記憶に残ることで自分の存在を証明しようとしていた。けれど、そんな不安定さが帆月を鳥居の向こうへと「消えてしまいたい」という思いに至らせた。

自身の存在をどう定義付けるか。それは青春の主題だ。それを帆月は記憶にもとめそして砕けた。これは、もう一人の悩める人物である比奈山にも当てはまる。彼もまた、幽霊が見えるという特徴のある自分をどう理解すればいいのか、そしてこの特徴を抱えたままで他者とどう関わるのかを計りかねている。

そんな、大きな悩みを前にして主人公の伊達はどう向き合ったのか。何も特別なことはしてない。いや、鳥人間よろしく自転車で滑空するのはたいしたことだけれども、帆月や比奈山の抱える悩みや葛藤を導く素晴らしい一手は打ってないのだ。比奈山はまだ友達といえるかも決めかねているし、帆月を一生忘れないなんて約束もできない。
でも、それでよかった。一緒に送電線をたどることや受験の相談、そういった日々をともに過ごすことで少しずつ自分を見つければいい。それが青春でいつしか「記憶」となり、自分を形作ることになるだろう。

という感じで、感想というか考察みたいな物を長々としてきたけれども、改めていえばこの小説は軽快にコミカルに少しの嫌みなんかを交えて、青春の日々を描いた楽しい物語でノスタルジーを感じたいときにも最高の一冊でした。
   

#君と夏が鉄塔の上読書感想文  

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