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息を吸うように、気づけば誰かを想っていること


自分の気持ちを、言葉にすることはとても難しい。

でも昨日好きな人と電話して、普通の人は…多くの人は、自分の感情や気持ちに無自覚的であり、言葉にしようとする人はむしろ少数派なのかもしれない、と改めて気づかされはじめている。

昨日、ずっと観に行きたかったヴァイオレット・エヴァ―ガーデンをやっと観に行けた。もともと、仲の良い女の子の友達からぜひ観てほしいって勧められていて、アニメから観始めて外伝まで完走するのにそこそこ時間がかかってしまった。途中から感情が揺さぶられすぎて観るのが辛くなってしまって、心の強度が安定しているときに観ていたら1ヶ月くらい費やした気がする。それで、なかなか外に出る気持ちにもなれなくて、やっとここ数日持ち直してきて…むしろとても体力や気力が湧いてきて、家事を済ませて楽しく支度して映画館への電車に乗れた。

それで、ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンの映画でも、「人間は、とことん自分の気持ちに素直になれず、言葉にもできない生き物だ」みたいな台詞があって、響いた。わたしはたぶん、ものすごく自分の気持ちや感情に自覚的で、感情を言葉に落としていくのが大好きな作業だ。自分の感情が大きく揺り動かされた瞬間に「好き」という気持ちが芽生え、あるいは「好き」以外の感情も生まれ、どうして自分はそういう風に思ったのか、というところを突き詰めて考え、言語化していく作業がとても好き。考えること、思索することが趣味で、とても楽しい。小さいころからそれは、ずっと変わってない。

だから最近ツイッターのフォロワーさんに、「こんなに感情に丁寧にフォーカスできる方はなかなかいない」という言葉をもらって、新たな気付きを得たと同時にとても嬉しかった。そんな風に思ってもらえてたんだ、と自分のことが少し好きになれるくらい。

わたしは自分が感情や情緒が豊かで重視している分、それを悪とみなしている部分がある。自分の大きな感情は人にぶつけるもんじゃない、っていうふうにかなり思っている。なぜならそれは加害や暴力になり得る激しいものだから。相手を傷つけたくないから。だけど15年以上仲の良い親友ちゃんや最近わたしの世界に舞い降りた好きな人にそのことを言っても、全然ぴんと来てないみたい。相手はそう思ってなくて、わたしが一方的に加害妄想をしているだけなんだろうなぁ。でも、一度溢れた感情は止まらない、とことん相手を追い詰めてしまうって、わたしは信じている部分がある。自分のことを信用していないの、たぶん。

わたしの感情の中にある激しさを苦手や嫌いだって思う人ももちろんいるだろう。でも、それを面白がってくれたり、必要としてくれたり、好いてくれたりしている子たちももちろんたくさんいて、わたしはその人たちを心から大切に、愛おしく思う。

わたしは好きな人を困らせたいみたいな部分も持っていて、「もっと考えてよ、困ってよ」っていう願望を、好きな人に対して思ってる。「それって加害性でしょ?」って昨日話したら、「そうなのかな…考えたことないかも」って言われた。好きな人のはなしを少ししたい。

好きな人は、わたしの声や感情の豊かさがすごく好き、らしい。見ていて面白いし新鮮だし、全然飽きないって言われた。好きな人は、わたしからするとかなり温度感が冷めていて、ニュートラルで、感情の起伏が少なく、落ち着いている。わたしからすると、そういう安定した人がわたしみたいに常に気が狂ってるみたいな人と関わりを持ちたいと思うのが不思議でたまらない。感情を揺らさなくても、安定して生きていけそうなのに。

でも、お互いの中で共通しているのは、「人は自分にないものを求める生き物だよね」ってところ。そういうことを考えていくと、好きな人がわたしにかまいたくなるのは、彼の中にないものをたくさんわたしが持っているからなんだろうなぁ。わたしは少し違って、彼のことを切実な気持ちでわたしの世界に存在していてほしいってもう、思ってしまってる。それはあんまりよくないことだって自分で思っていて、でも、好きな人がいるから今、生きる気力が湧いているっていうのも事実だから、それをよくないから変えようとするのもできないんだよね。わかってるけど、嫌われたくないからいろいろ考えちゃうね。

わたしは生育環境から「人に迷惑をかけるのは悪」と刷り込まれているから、自分が苦しくて一人で生きていくのが困難でも、人の頼り方がわからなくて何度も何度も自滅している。自分の感情によく振り回されて苦しいし、生きるのがへたくそだなって思う。でも、感情を大切に思う自分はたぶん変えられないし、そんな自分じゃなきゃ生きてる意味もないなって思っている。そんな不器用でみっともなくてうまく生きられず社会不適合者になっているわたしを、ずっと愛してくれてる友達や今好いていてくれてる人に感謝して、自分なりに愛を注ぎながら、必死に生きていきたいと思う。


部屋の隅っこで、ちょこんと座椅子に腰掛けながら、冷たいルイボスティーを飲みながら書きました。久しぶりに自分の気持ちを文章にできて、満足。

たくさん書きたいことが溜まってるから、一つひとつ消化していきたいな。


2020.11.5

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