自由に息ができる場所。
本当はなんだって、やってみなくちゃ何にもわからないのに、わたしはなんでもひとりで頭で考えて、先走ってしまう、いつも。
勝手に決めつけて、勝手に失望したり、諦めたりして。
すこし聡い分、なんでもわかった気になってしまうのが自分の良くないところであり欠点だと思う。
自分で何かを決めて何かを実行するのも苦手だし、ずっとそういう類のことから逃げてきた側面がある。でも、もう大人だし、いい加減克服しなくちゃいけないよなぁって思ってる。
ずっと欲しかったタイプライター風のカラフルなキーボードをついに購入して、想像以上におもちゃみたいな見た目や手触り、使用感に笑っちゃってるんだけど、叩いてるだけでテンションが高まるし、思っていたよりずっと入力もしやすくて気に入ってる。
わたしは、スタイリッシュなものにはそんなに興味がないのかもしれない。いつまでも子供みたいに、安っぽくて可愛らしいものにわくわくしてる少女の自分が内在しているのをすごく感じる日々。
そんな風に自分の趣味嗜好や純粋に好きだなって思えるものを確認する作業は愉快で心地好いし、生活の中で大切にしていきたい部分だ。
わたしは内向的なHSP気質だけど、人と会話するのが好きで知的好奇心に満ちている。自分の興味を満たすために生きているといっても決して言い過ぎではないくらい。
そんな性格だから、自由過ぎて、毎日いろんな人と交流をしているから、好きな人はたぶん気が気じゃないと思う。申し訳ないなって思ってるけど、でも同時に、そんなわたしの自由さを愛してほしいとも思ってしまうから、本当にわがままだ。好きな人からもわがままだって言われる。けど、嫌?って聞いたら嫌じゃないよって言ってくれる。ああ、好きだな。
好きな人が毎日ほんとうにこの上なく優しくて、わたしは今を生かされているなと感じる。さっきの会話も、決して嫌味な感じじゃなく、単純な計算式の公式を確認するみたいな、淡々とした会話だ。わたしは好きな人のニュートラルさや素朴さ、穏やかさを心から愛してる。真反対のわたしにとって、それはとても心地好い性質だから。客観性に救われてもいる。
人間関係って、いつも上手く言葉にして表すことは難しい。ほかの人には正しく伝えられなくても、その時、その時の自分がどのように感じて、考えているのかを、いまのわたしは何より大事にしたいなって思う。
わたしはずっと、他の人たちから理解されづらく、不可解に映るらしく、一般の人たちへ説明を強いられてきた。少なくともわたしはそういうふうにずっと感じていて、負担だった。あやしいものではないですよ、無害ですよという証明。そうしないと存在を認められない時点で、異端な時点で、自分は有害なんだなって思う。別にそれは良いんだけど、積み重なって疲れてしまったということなんだろうな。ただそこにいていいよって、存在を許されたかっただけなのにね。こういう話をすると、今でもいろんなことを思い出して苦しくなる。ぜんぶ、仕方ないことなんだけどさ。
いま、幸せなことに、自分がやりたいと思うことや欲しいと感じるものが結構あって、そういう気持ちを大事にしていきたいなって思ってる。
このおもちゃみたいなカラフルなキーボードでこうやって文字を打っていることも、この上なく楽しい。こういう心地よさや楽しさを追求していきたいなぁと思うわけです。
久しぶりにnoteを更新できてほっと一安心してる気持ちもある。
念願叶ったわけだし、これからもコツコツ書いていけたらいいなぁ。
日々の所感を綴る日記として、やりたいことや欲しいもののメモとして。自分の気持ちを残しておく場所として。こうしてラクに息ができる居場所を、大事にしていきたい。
ベッドの上で、PS4のコントローラーをいじりながら。原神、とっても楽しいから、これもコツコツ続けていきたいもののひとつ。
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