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東京と学生と居場所

 上京してきて3年半が経つ。

もともと全く行く気のなかった明治大学、東京。

今振り返ると、高校生の時、僕は東京という場所をあまり好ましく思っていなかったのだなと感じる。
というのも、そもそも人が多すぎる場所は嫌いだし、気分屋で自己中なので、あの凄まじい人混みは、当時の僕にはエゴの塊にしか見えなかった(笑)


 そんな中、入学した明治大学。
正直、何の思い入れもなく、何も知らず、何の目的もなく進学した。


周囲とはウマが合わず、親友や友達どころかちょっとだけでも気を許せる人を見つける事すら苦労したのを覚えている。
かなりストレスフルな毎日だった。授業は何も面白くないし、熱中できるものも見つけられないし、これといっていい出会いもなかった。


最初の一カ月くらいはストレスで体調を崩し、熱を出しながら通学したこともあったし、身体が浮くくらい窮屈な満員電車を往復する日々が何より辛かった。何より楽しくなかった。それに尽きる。
本当にきつかった。高校までは勉強はそれなりに楽しかったし、熱中できるものもあったし、親友もいたのもあって、その当たり前が急になくなって最終的に自己嫌悪に陥った。唯一、興味を見いだせた留学も、本気になるほどの目的も見つからず全く勉強や準備に身が入らなかった。(今思えば、あそこでもっといい出会いがあって、かつタイミングと運と確固たる目的が見つかれば、台湾やらタイへ長期留学に行っていたのかもしれないなあ、なんて思ったりもする。でも、たらればです笑。)


とにかく、辛かった。
当時は、この辛さの根底にあるものが何かなんて、考える余裕などなかった。


が、その原因は今ならわかる。というのも、最近やっとわかったのだ。
コロナ禍で思いっきり内省して、本を読んで、ようやくわかった。


今回は、この辛かった経験とそこから見つかった気づきと、この気づきをどう次につなげようかという話をしたいと思う。


1.居場所のない場所、東京


 東京には「居場所」がない。

さて、「居場所」とはなんだろうか。
ここでは、『帰属意識を持てる場所』『自分らしくいられる場所』『それぞれにとってのサードプレイス』とでも定義しておきたい。

というのも、明確に定義づけするものというよりは、性質としてこうした要素があるだけで、人それぞれ色んな「居場所」があるので。と、言っても理解してもらえないのが、悲しい(笑)。

理解してもらえない理由はただ一つ。

東京にその「居場所」が少なすぎるから。

これに尽きる。

例えば、帰属意識という言葉から深ぼると、東京には帰ってきたくなる場所や地元のような思い入れの強い場所がないのだ。

都内のプロスポーツチームをみるとわかりやすい。
野球の巨人も、サッカーのFC東京も、バスケのアルバルク東京も、地元性を感じて応援している人なんてほとんどいないだろう。

都内のど真ん中出身者で、ずっと都内で育った学生に話を聞いてみても、
彼(彼女)らに強烈な思い入れのある地元の場所や、それに付随する強烈なエピソードが出てこない。

一方、田舎・地方で育ってきた学生は、自然や草の根的なコミュニティで強烈な体験を持っている。
同じ屋根(コミュニティ)の下で飯食ったり、辛い思いをしたり、悪いことしたり、いわゆる法(システム)の外に出た限りなく自然(野生)に近い人間的活動・経験である。
ちなみに僕で言うと、友達と一緒に釣っちゃいけないところで魚釣りしたり、入っちゃいけない場所で鬼ごっこしたり、部活で学校泊まり込みの地獄の夏合宿やったり。そういうやつ。非日常な、ゲノムレベルで謎に刺激されたり印象に残ったりする類のものです。

そして、こうした強烈な帰属意識を持ちながらも、東京にキラキラした希望を持って上京してきた学生に待ち受けているのが、「居場所」がなく空っぽで窮屈で焦燥感と不安だけが襲い掛かるカオスなんだと思う。

よく、東京は田舎者の集まりだと揶揄される。概ね合っていると思う。

その田舎者の集まりが、このカオスに侵され、せかせかと余裕なく目をギラギラさせて(もしくは死んだような目で)生活している、

それが、東京の1つの側面であるように感じる。

そして、それこそが当時の私が感じた辛さの根底にあるものだった。

2.強く濃い場所


 前述したとおり、強烈な思い入れや帰属意識が生まれる場所が地方にはとても多い。

ここではそれを、「強く濃い場所」とする。

何より、地方(田舎)はヒトとヒトの距離が近い。

これは、デメリットとして捉えられがちなのだが、むしろここにあるデメリットこそ現代に必要であると感じる。

例えば、「回覧板」だ。
都内の人は「?」だと思う。あるのかな? あったとしても、明確な違いがある。(後述)
回覧板は、リレー式の連絡文書のことで、行政の情報発信、告知、共有を行うためのものである。これが、地方では特にその地域のメディア、ネットワークになっている。
そして地方では、これを近所にリレー形式で回していく際、その受け渡しの度、井戸端会議のような形でおしゃべり、うわさ話が起きる。

ここが、都会と地方では大きく違う点だと思う。
都会に比べ地方の方が、昼間でも自宅に人がいる割合も確率も高い。だから、回しに行った際におのずと会話が起きる。

これが良くも悪くも地域のネットワークの基盤になっているのだ。
LINEなどのSNSがなくても、これでご近所さんが何をしているのか、何に困っているのかが広まる。

こうした草の根的なネットワークやコミュニティが、田舎には非常に多い。
誰か偉い人による人為的なシステムとしてだけでなく、偶然出来上がった文化やシステムも多い。

逆に言うと、こうした強烈な帰属意識や、身内な文化やコミュニティが出来上がった地域は、よそ者に厳しく、変化を嫌う。

それは良さでもあるが、今風に言うと、イケてないし前時代的ではある。

この良さを残しつつも、現代のデジタルなどの要素も上手く親和を図っていくことは非常に重要であるといえるだろう。

あんまり好きではないけれど、『SDGs』や『デジタル庁発足』の意義はここにあるのだと思う。

「誰一人取り残さない」というテーマの本質の大きな要素の一つは、まさにここの親和を図るという点にあるのではないかと思う。

そして、さらに逆に言うと、こうした帰属意識や濃い人間的な文化のあるコミュニティや場を、東京につくることも非常に重要ではないだろうか。

つまり、人間的な関わりの価値や草の根的な帰属意識の大切さを、東京人(東京出身×、東京に染まった人◎)が、自然と触れられる場をつくることだ。

特に、上京して東京によくも悪くも揉まれちゃってるコスパ重視の意識高い学生、もしくは上京後の僕みたいな状態に陥ってる学生に、こういう場所を持ってほしい。すごく大事なことだと思う。

また、それがないと、本質?を理解しないまま「地方創生、課題解決!」とかいって、都会のよそ者が、地方で想像力もなく「一方的に沢山の人を取り残す」システムを創り上げてしまいかねない。
実際、それが起きているのが現状だと思う。都会で地方創生を叫ぶ人達と話しても、たいていどこかズレているし、想像力に欠けることが多い。

では、地方と都会に歩み寄ってもらうためには、何が必要になるだろうか。

後述していきます。

3.ゆるく弱い場所


 それが、「ゆるく弱い場所」になる。

これは、ローカルアクティビストの 小松理虔さん から借りた言葉だ。

ただ「いる」ことが許される、「ゆるく弱い居場所」の可能性を諦めない。

この言葉に非常に感銘を受けた。

これこそが、地方と都会をつなぐ(親和を図ることができる)居場所そのものであると。

上京した学生が、自分自身のありのままで、干渉もされずにゆるくただ「いられる」場所。
私の主観であるが、こうした場所があると言い切れる都内の学生はかなり少ないと思う。

この課題意識が明確になった瞬間、私の目的も定まった。

「東京に居場所をつくるのみ。」

ここまでが、辛かった経験とそこから見つかった気づきである。


では、この気づきをどう昇華しようか。


さあ、ここからは私個人の話になる。

そこで、舞台(フィールド)となるのが「神保町」だ。

学生街としての長い歴史を持ち、知れば知るほど奥深く底がなく、色んな顔を持っている。
それが神保町という街だと思う。

そして、本の街としての色が日本で最も強いといっても過言ではない。
ここが良い。

本を媒介として、ヒトとヒトとがつながる。
外からの強制力もなく自然と、ただ好きだからという理由一つで、つながることができる。

本に限らず、神保町には、人と人との関わりをもたらすフックが多い。
さっきの話で言う「回覧板」的なものだ。

ここ(神保町)をフィールドとして、「場」づくりをしようと思う。
きっと、できる。そう信じています。

今回は、それを宣言したところで終わりにします。
進捗含めて、また更新します🙋‍♂️✍

参考👇



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