初期研修病院の選び方 パート3(&どういう初期臨床研修をすべきか)
出オチで恐縮だが、上記内容について書きたいことはこれまでのブログにほとんど書いた(分散していて申し訳ない)。よって本記事はその補足程度のものである。
初期臨床研修では「小規模」病院は避けるべし
以前に、都市部より地方の病院が初期研修に向いていると書いた。だが過ぎたるは猶及ばざるが如し、「小規模」な病院は避けた方が良い。
規模の目安として、研修医の募集人数を確認しよう。一年で一人とか二人というのは怪しい。病床数も確認しよう。200は研修病院としては少ない。それから救急車の受け入れ台数。一回の当直あたり数台ではあまりに少ない。個人的な経験だが、「(規模が小さいから)和気あいあいとしていて楽しいよ」とか宣伝しているところは怪しい。
*200で小規模というのは語弊があるが、いい表現を思いつかないので「小規模」とカッコを付けて表記する。ご了承いただきたい。
では、なぜ避けるべきかを説明しよう。
重症患者の診療を経験できないから。
入院患者もそうだし、救急外来でもそう。最初の二年間で重症を経験していない人が三年目で他の病院に異動した際、重症患者を十分に診療できるとは思えない。
ここで言う重症とは、やれ人工心肺が必要とか、全身三度熱傷とかそういう意味ではない。心筋梗塞、大動脈解離、脳卒中、腸閉塞などの、そこそこ頻度が高く、かつ緊急で治療が必要な疾患である。規模の小さい病院では、こうした患者が外来に来ても他の病院に送ることになるし、そもそも救急車を受け入れないことも多い。
改めて問おう。そんな病院で初期研修をした人が心筋梗塞や交通外傷の対応をテキパキとできるだろうか。
検査機器が十分でない救急外来で如何に診断できるかというのは、それはそれで重要なスキルだが、それは二年間地方の中核病院で基礎をしっかり固めてからで十分である。大は小を兼ねる。小は大を兼ねない。
なお小生は病床数500くらいの病院出身だが、常勤の先生方とはほぼ全員と会話したことがある。大学病院規模でなければ病院一つあたりの医者の数などしれていよう。
どういう研修をするべきか
これについては、なんやかんやでこれまでの記事に分散して書いてきた。積極的に学びにいくこと、社会人としての礼節を身につけること、救急外来を一人でこなせるようになること、などなど。一番大事なことはすでに記載してあるので、いくつか補足する。
1.ちゃんとカルテ書いて。
よくある悪いカルテの例を挙げると、
・ただのメモや感想文(文末が「~か?」など)
・思考過程が書いておらず論理が飛躍している(結論だけ書いてあるなど)
いずれにせよ、カルテは「患者をどのように医者が評価・解釈しているかを、他の人に説明するためのもの」なのであり、カルテが書けない人はこの意識に欠けていると思われる。
診察・診療したから書くもの、ではない。他人が読んで理解できるものでなければならない。わかりやすく、論理的に書かなければならない。初見の医者でもその患者を把握できるようなカルテでなければならない。また他の医者だけではなく、看護師をはじめコメディカルが見て治療方針がパッとわかるものでなければならない。
自分のカルテを他人が見て分かるだろうか、ということを意識して書いてほしい。
2.ちゃんと患者に会って。
臨床とは言うまでもなく「床に臨む」はずなのだが、電子カルテの検査結果ばかり見て「床に臨まない」研修医を見かける。忙しくて受け持ち患者全員に会いに行けない日もあろう。ただし急性期だったり症状があったり、看護師から相談を受けた患者は見に行くべきだろう。
患者が痛いと言っているところと全然違うところの画像所見を指摘し、「原因はこれ」と記載していたヤツがいた。中学生でも「なんかおかしくね?」と気づきそうなものだが、いずれにせよその後患者に会って診察していれば自分の間違いに気付いたはずである。
また、発熱患者の血液・尿検査で感染症所見が無くて困っている研修医がいた。症状は無いのか、とそいつに聞いたところ、「無い」との返事。でもあとでカルテを見たら、「~の痛みあり、~」と書いてあった。嘘をつく前にまず診察をしていただきたい。
3.分からないこと・知らないことはちゃんと調べて。
個人的にまったく理解できないのだが、わからない・知らないのに調べないヤツがいる。そしてその場合、「(わからないから)とりあえず様子を見る」か「自分の仮説・想像のもとで判断する」、あるいは「とりあえず対症療法」かになりがちである。よくそんな頭で医学部に入学・卒業、国家試験に受かったものだと思うが。
様子を見るというのはただ結論を先延ばしにしているだけで何の判断もくだしていない(経過観察は「何もする必要が無い」という結論を出したという意味であり両者は異なる)。
自分の仮説・想像が必要な場面は臨床において確かにあるが、それはエビデンスの無い事柄についてである。エビデンスに基づかない医療はヘルシンキ宣言に違反しており、医師の裁量権の範疇を超えている。
対症療法しかしない人。異常所見があれば普通その原因が何か考えると思うのだが・・・。よく見るのは、電解質異常があったら補正して検査値を正常にするだけの人。低Kだからカリウム入れときました、満足してる人。アンタがループ利尿薬を入れてるからだよ!
こういったpoorな研修医は多分、普段自分がちゃんと診療したり調べたりしなくても、上級医がメインで診療しているから「やってこれた」のでしょう。しかも、ほとんど何もしないから失敗もしないし、ゆえに注意されたり怒られることもない。だから自惚れてはいないかもしれないが、「自分は医者としての能力が低い」という自覚が無いのだろう。そういう病院だと自分の同期も少し上の先輩も後輩もそんな感じだから、なんの違和感も無いのだろう。この「自覚の無さ」というのはハイポ病院研修の最も悪い点に思える。
強引にまとめると、「主体的に患者の診療をおこなえる研修」こそ、最も理想的な初期臨床研修である。
少し雑談:医学教育の罪
上にも少し挙げたように、はっきり言って馬鹿なんじゃないか、頭悪いんじゃないかと思ってしまう研修医がいる。
学生時代に勉強してなかろうと、ちゃんとした初期研修のできる病院に行けば、自分が勉強したり調べないといけない環境になるので自然とできるようになっていく。私自身がそうだったように。だから初期研修内容が医者をダメにしている可能性は高い。
一方、そもそも楽な病院を選んだのは医学生時代であるから、医学生の時点で誤った方向に向かっているとも言える。「初期研修では楽をしよう」とか、「厳しいところは嫌」とかいう安直なキリギリス的思考が学生時代に形成され、受験した時に有していた大局観や冷静さが失われている可能性がある。
以前は成績優秀だったのに、それから6年もしない内に頭が劣化する原因は何か。完全に偏見だが、医学教育に責任の一端はあると思う。
あくまで私が卒業した大学のことしか知らないが、医学教育はクソである。知識の暗記ばかりが試験で要求され、数学の問題を解く時のような論理的思考力などまるで必要とされない。ただの暗記だから勉強・医学を面白いと思うどころか苦痛であるし、時間とともに論理的思考力や英語の読み書きまでもが衰えていく。ただしすべて必修科目のため試験には受からないといけないから、如何に効率的に、楽に試験をパスするかを考えるようになる。そんなだから、そりゃつまづいて退学する人も出るわ。
発表会を開催するものの、文章の書き方やプレゼンテーションについてまともに指導されない。病院実習が5年生くらいから始まるが、そのころには医学への興味は大きく削がれており、それだけに学べるものも少なくただ気疲れするだけ。
少なくとも我が母校の教育は、自ら学生の頭を悪くし、なんなら退学という形で優秀な人材を手放している。
医学教育が知識の暗記に偏り過ぎている。論理的でわかりやすい文章を書かせるとか、そういう頭を使わせる作業・教育をさせないと、6年かけて思考力を衰えさせることになる。
その結果、アホな研修医、論理的に思考・表現できない研修医が生まれるのではないか、あるいは楽な生き方を選ぶようになっているのではないか、などと思えるのである。
以上
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