大学院 研究生活備忘録#1 ラボの教訓
*これは、現在大学院2年(今年3月卒業)の筆者の研究生活で学んだことの備忘録です。あくまで自分の記憶の整理のために書いていますので、悪しからず。
もう少しで長かった大学生活も終わりを迎える。今思えば、大学3年生から配属され、エスカレーターで大学院まで行ったため、約4年研究に勤しんだ。長かったように感じる。
決して安くない学費を払っていただき、生活リズムを崩しながらも成果第一で自分なりに研究に没頭した日々。何かしらの爪痕を残しておきたい。
今回は#1として、まず、学んだ教訓を残したい。
学んだ教訓
・ラボには13時間滞在しろ!でも無理はしない。
・自分で先人の教えを調べてもの事を進める。
・一時が万事
・世間に発表しないと意味がない
・ラボには13時間滞在しろ!でも無理はしない。
これだけ聞くと、ブラック企業に聞こえるが、一応、学びになった理由はある。
ズバリ、何かを極めたければ、1日13時間くらいそのことに時間をかけないといけないということだ。
正直、仕事(研究)は効率が大事と過信したり、そもそも研究が嫌な人たちが早々と帰っているのを目にするが、同じメンバーに話を聞くとあまりよく思われないことの方が多い。
特に学生であれば、たった1年や2年ごときで質を追い求めるなということ。特に最初のうちは、ある程度の力業と仕事量が、物事の上達必要だと思う。
加えて、これはよくボスから言われたことだが、いい意味で、若いうちしか無理はできない。このことからも、やはり上達には時間と労力が必要だと伺える。
もし、また大学で研究をするないし何か物事を極めたい時(仕事とか特に)のために、心に留めておきたい。
・必ず、先人の教えを参考にしてもの事を進める。
研究を生業にしている人からすれば、当たり前に思うかもしれない。しかし、私はこれが結構できていなかった。今でも、自分の課題の一つだと思う。
研究は、これまでの先行研究で成り立つ。 巨人の肩の上に立つという言葉はまさにそのことを意味する。先行研究を通じて、実験条件や仮説はもちろん、自分の実験結果の議論を行う。意外と学生側は、教授や諸先輩方の意見や予想に振り回されてしまいやすい。悪くいうと、その教授や先輩の言いなりになってしまいかねない。それよりは、自分で先行研究を調べて、解釈して、実験をしていく方が圧倒的におもしろい。もちろん、上司の言葉をガン無視も良くはないが、そこはバランスを取ろう。
この発見があってから、今では研究のみならず、プライベートで何か物事を始める時に、先例を見てみる癖がついたと思う。
・一時が万事
比較的、有名な言葉であるが、これは特に印象に残っている。
私は、結構ミスが多い人間である。宛先のミス、スケジュール管理の配慮不足、結果解釈のミス 、誤字脱字 etc・・・あげたらキリがない。
その度に、ボスから言われていたのが、「一時が万事」だった。
人からの信頼は得るのが難しいにも関わらず、失うときは一瞬。それを伝えるときに、よくこの言葉を伝えられた。
この言葉のおかげで、今ではだいぶ仕事のミスが減った。心がけだけでもだいぶ変わるものだと痛感した。でも、いまだに誤字脱字はひどい。ごめん。
世間に発表しないと意味がない
どんなに頑張って研究をしても、それを世間に公表(論文にする)しないと意味がない。これは何回もラボ内で聞いたことだ。
個人的には、研究者は漫画家のようだと思う。常に新しい話(研究コンセプト)や作品(論文)を作らなければならず、作品ができたとしても、それを人に見てもらって(査読)、あれこれ言われた後に、やっと成果となる。成果物は、掲載された雑誌や引用数などである程度評価される。そして、研究で大成するには、成果物を作り続けるほかない。こういう意味でも、結果主義になるのは当たり前な気もする。
少し、話が逸れるかもしれないが、「世間に発表できる」ということは、 「世間に説明がつく」ことも意味する。成果主義の中、この真摯な姿勢を保つことも地味にメンタルを削られる。
人に認めてもらったり、ある分野で成功するには、結果主義が付きまとう。今後の目標達成の際は、どうすればそれを発表できるような形にできるのか? ちゃんと人に説明できることなのか?という問いかけが大事になるだろう。
パーっと書いてみて、意外と当たり前だろと思うかもしれない。しかし、当事者になるとこれが難しい。この認識を持てたことももはや学びの一つかもしれない。
まだまだ書きたいことはあるが、かなり細かい話になるので、#1はここまで。