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12. 主観的なデジタル情報を客観的な検証でケリがつく程度にまでシンプルに詰め切る

彼の実践する包括的な教育法をふたつの大きなカテゴリーに分類できるのではないかと思う、と言った。ひとつは主観性の訓練、もうひとつは客観性の訓練である。このふたつのカテゴリーは、主観性にもとづいた”純粋”科学の情報収集と比較すれば、むしろ客観性を養う訓練と言えるだろう。情報を忠実に収集し、分析することを学ぶような主観性の訓練は必要だが、そのような訓練ではデータのもつ意味を理解する能力が高められることはない。この段階ではデータの意味を理解する必要を問われないからである。なぜなら、データから読みとり、理解すべきパターンがはっきり存在しなかったり、説明しうるパターンがないことが多々あるからだ。これらは主観性の訓練なのである。客観性を得たあとにのみ、ほんとうの主観性が現われる、とわたしは考える。

バックミンスターフラーの宇宙学校


フラーのいうパターンとは動的で物質的な振る舞いのことだと思う。

主観的なデジタルな概念を詰め切るコツは、安宅和人『イシューからはじめよ』が参考になるはず。




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