思考時間の奪い合い
他人が直接、物理的に目の前にいないにも関わらず、他人に対して考えている時間は、完全に生きていることを無駄にしてると捉えていいと思う。
原因は、「その時受け身になってたから」という仮説を持っている。受け身になることは、他者を気づかうことにはならない。むしろ、自身の主観的な生命活動を冒涜しているくらいに捉えてもいいくらい。
対策は、没頭して、主体性フルの状態で、能動的に目の前のことに取り組むこと。
「他者のことを考えない」ことと、「他者を気づかう」は別である。「他者のことを考える」必要はない。「他者を気遣う」ことはその場で即興的に頭を酷使することで十分事足りる。
自身が本質的かつ前向きな一手をどう打つかを考え抜くことが意味ある脳の使い方であり、建設的な情報処理の対象だと思う。
それは他者の存在を無視することにはならない。むしろ、他者の主体性を引き出しているくらいに割り切る。
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