
月面寺院の隠者
地球歴2098年、かつて地球の理想を夢見た男がいた。名を高村敬一郎という。彼は全人類の幸福と共存共栄を信じ、あらゆる資源問題、環境問題を解決しようと尽力した。最新の科学技術と精神哲学を融合させ、戦争のない社会を作ろうとした。しかし、その信念はあまりにも純粋すぎた。
彼は全財産と影響力を投じ、未来のための改革を試みたが、結果は無惨だった。各国政府や巨大企業は彼の提案を警戒し、経済の均衡が崩れることを恐れた。彼の技術は封じられ、彼自身も詐欺師呼ばわりされ、社会的に抹殺された。彼の志は潰えた。
すべてを失った高村は、もはや地球には未練がなかった。全力を尽くした彼に後悔はない。ただ、静かに余生を送りたかった。彼は月面を隠居の地に選び、最新の技術を駆使して、そこで木造の仏教寺院を建立した。
**月面寺院・無常庵**。それは奇跡の建築だった。ナノカーボンと人工木材を組み合わせ、微小重力でも耐えられる構造を持ち、独自の環境維持システムによって生存が可能となった。彼は寺院から母なる地球を眺め、静かに念仏を唱える日々を送った。
しかし、彼の隠遁生活は思いもよらぬ形で終焉を迎えた。
ある夜、彼は寺の庭にたたずみ、地球を見つめていた。その時、突如として寺院の通信システムが作動した。久しく音沙汰のなかった外部からの信号だった。通信を開くと、驚くべきニュースが飛び込んできた。
「高村博士、あなたの理論がついに証明されました!あなたの提唱した技術が、ついに地球で受け入れられたのです!」
驚愕する高村。かつて否定され、嘲笑された彼の夢が、何十年もの時を経て、ついに実現したのだった。
「ですが——」通信の声が震えた。「地球では今、大規模な戦争が起ころうとしています。あなたの技術が悪用されようとしています!どうか、戻ってきてください!」
高村は動揺した。地球のためにすべてを捧げた彼にとって、これはあまりにも皮肉な展開だった。彼は再び世界を救うべきなのか、それとも、このまま静かに終わりを迎えるべきなのか。
彼は月の砂を一握りし、そっと目を閉じた。
そして、決断した。
通信機の電源を落とし、彼は再び寺院の中へと歩み去った。
外の世界は変わらずとも、彼の心はすでに救われていたのだから。
静寂の中、月面寺院の鐘が鳴り響いた。
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