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安いコーヒーの味を知っているからお店で飲むコーヒーに感動する
昨日の地震の影響で電車が遅れていましたね。
たまたま同居人がお休みだったため車で最寄り駅まで送ってもらいました。
最寄駅にいつもより早くついてしまったので近くのパン屋さんでモーニングセットを注文してこのノートを書いています。
コーヒーのお供はハムとチーズを挟んだシンプルなフレンチトーストとサービスでバナナがついてきました。
普段家でも朝起きたらコーヒーを飲むのですが、それとお店で丁寧に入れられたコーヒーとの味わいの違いはコーヒーに詳しくない私でも明瞭に分かりました。
しかしこのパン屋で毎日コーヒーを飲んでいたらそれに慣れてしまい、目の前のコーヒーの味わい、香り、色などその贅沢な時間に感覚を集中させることもなくなるのでしょう。
タイトルでコーヒーを例に挙げましたが、これは特別コーヒーに限らずこの世の多くのことに共通して言えることだと思うのです。
人間は悪気なく慣れる生き物です。
良いものを知っている人はその反対に何が悪いのかを知っている人ではないでしょうか。
何が良い悪いは個人差がありますが、その違いが繰り返しの毎日に小さな幸福をもたらすのかもしれません。
金額が高いものが良いわけでもないし、安いものが悪いわけでもない。
どちらも知っているからこそ、なぜ高いのかなぜ安いのかを理解できるしその価値を十分に味わうことができます。
私はカメラにこれを照らし合わせても同じことが言えるなと思いました。
高い機材だから良い作品が生まれるわけではないし、安い機材でもアイデア次第で素晴らしいものを創る人もいます。
それはその機材では何ができるのか、どこまでのことならできるのかをちゃんと理解しているからものが持つ力を十分に使いこなすことができるのでしょう。
その幅を理解するには、多くのものに普段から触れておくことが大切です。
最後に仕事で失敗することありますよね。
失敗したときはすごく落ち込むのですがたまに失敗するくらいがちょうど良いのかもしれません。
失敗した次の日は気持ちを入れ替えて初心に戻ろうといったような感覚になるのですが、この感覚も毎日の繰り返しのなかで忘れがちになります。
半強制的に目の前の当たり前を見つめ直すきっかけになります。
朝少し早く出勤するのもこんな充実した時間を過ごせると思うと悪くないですね。
ではそろそろ時間なので行ってきます。