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"飽きる"ことは悪いことではなく人生の中で大切にするべきものをクリアにしていくことでは?

私は飽き性です。

しかし好きなことは多いタイプの人間です。

好奇心は強いので色々手を出しては引いて、その中で今でも継続しているものは少ないと思います。

趣味でいえば、カメラ。

大学一年の時に一眼レフを購入してからその沼にハマり、手放しては新たに迎え入れたり様々なメーカーのカメラに触れてきました。

手放すことはあっても写真は好きだったのでカメラを生活の中からなくすことはありませんでした。

今は映像制作の方にはまっていて、絶賛流行りに乗っかっています。


ファッションも昔から好きですね。

ミニマリスト思考に夢中だった頃は服をこれ以上買うのはやめようと意気込んでいましたが、その生活は自分が心から望んでいたものではありませんでした。

こういう思想、啓発系には影響を受けやすい自分ですがどれも数ヶ月後には辞めているケースがほとんど。

食事内容を改善しようと試みたときは健康本を読み漁り、良いと言われることをとにかく実践していました。

これらの結果についてはこちらの記事を見ていただきたいと思います。

性格的に極端で完璧主義なので失敗の反動も大きいのだと最近気がつきました。

物事に対して飽きることが悪いことではなく、それは日々の移り変わりの中で当たり前に起きる変化であるというのが私の考え方です。

情報過多の日々で今でも飽きずに続けていることは、本当に自分のライフスタイルにおいてなくてはならないものだといえるでしょう。

飽きるということが一種フィルターの役割を果たしているということです。

何事も続かないと感じている人は、まだ自分にとって大切にしたいことに出会えていないだけなのかもしれません。

しかしこのフィルターは一定の時間をかけてあげないと機能してくれないこともあるのでまずは興味があるものは体感してみることが大切なのでしょう。

中には直感的に向き不向きを感じ取れることもありますが体感の後のそれはより確実性を持つと思うからです。


こんなことを記事にしようと思ったのは10年前に好きだった曲が今でも好きで飽きないなあとふと思ったことがきっかけです。

音楽というものが私の人生にとって大きいウェイトを占めているわけではないですが、新しいカルチャーが次々と生まれるこの現代で10年間越しでも心が踊る曲ってすごいなと思ったんですよね。

荒削りの自分という人間を人生の中で理解していくためにこの飽きるという感情はなかなかに信頼性の高いものであるなと感じています。

自分にとって本当に大切なものって頭の中で考えてもなかなか整理ができない一方、それを理解したい気持ちでむず痒い感覚になるのですがそれと向き合ってきた、費やした時間が多いという事実はその思考を整理するための分かりやすい指標になるでしょう。


私はこの先の人生も好奇心の赴くままにやりたいことをやっていきたいと思っています。

もしその好奇心も湧かず、立ち止まってしまうことがあればそこまでのものだったとありのまま受け入れるのでしょう。

好きなことに向き合っていると気づいたら違う世界に足をかけていてその世界のことも好きになっていたということが起こります。

自分を深く理解している人はこの経験を人より多くしているのかもしれません。

好きなことを追求していくことは自分を知ることと同義であると思います。

物事に飽きてしまったり変化することは自分らしく生きていくために必要なことであり、その先に残っているものを改めて見つめ直し大切にしていきたいです。

しかし稀に距離を置いて戻ってきたらやっぱり好きだと気づく場合もあります。

なんだか人間関係みたいですね。

いや人間関係にも同じことが言えるのでしょう。

そうやって生きていくのが私の生きる意味でありそれが人生だと今日の私は考えています。

明日の私はどうでしょうか。

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